
“高井メモ”の中身。村田兆治のクセが記されている
取材場所に指定されたのは、昭和の香り漂う喫茶店だった。阪急線の某駅の駅ビルを抜けてすぐのところにあった。
昨年7月、
高井保弘さんにインタビューした。テーマはもちろん「代打」。『ベースボールマガジン』8月号で企画した代打特集に、この人は欠かせない。通算代打ホームラン27本の世界記録保持者。70年代にパ・リーグ4連覇、3年連続日本一に輝いた阪急ブレーブスで、なくてはならぬ存在だった。
現役時代は173センチと上背こそなかったものの、恰幅の良い体形、ふっくらとした顔つきは愛称の「ブータン」そのものだった。
いざお会いした高井さんに「ブータン」の面影はなかった。すっかり小さくなった印象を受けた。
しかし、1打席に勝負を懸けた男の目の光は強いものがあった。記憶もしっかりしていた。代打の極意について約1時間、たっぷりと語ってくれた。
驚いたのは、こちらから頼んだわけでもないのに伝説の“高井メモ”が記されたノートを何冊も持参してきてくれたことだ。“高井メモ”とは、高井さんが現役時代に阪急に来日した助っ人外国人、
ダリル・スペンサーの影響だった。「元大リーガーがそんなことをするのか。僕らも同じことをせないかんとマネしたんです」。
“高井メモ”には、高井さんが当時対戦したパ・リーグのそうそうたるエース級のクセがページごとにボールペンで図解を交えて書かれていた。基本的にワインドアップとセットポジションでクセを見分けていた。たとえば「マサカリ投法」から繰り出される速球、フォークで200勝を達成した
ロッテのエース、村田兆治投手に関するクセは以下の通りだ。
<ワインドアップ>
(右の)手首の筋が出る=ストレート、筋なし=スライダー、フォークは見ればわかる
<セット>
右手で持ったボールを見る=フォーク
ゆっくりセットする=ストレート、スライダー
さらにセットポジションの場合、右手で握ったボールをグラブに入れる際、きっちりと握っていればストレート、ワシづかみならフォーク(ワシづかみのほうが挟みやすい)とも記されていた。

阪急で代打本塁打27本の世界記録をマークした
この高井メモはすでに、他のメディアにもすでに公開されている。記事のコピーも見せてくれたが、いざ実物を見せてもらったときには、さすがに興奮した。本人の許可をいただいた上で、カメラのシャッターを押した。現役時代には門外不出の企業秘密。代打世界一の称号は、日頃のたゆまぬ研究の成果だと、あらためてうならずにいられなかった。
「これもそのうち野球殿堂博物館行きですわ」
そう言うと高井さんは笑った。
代打世界一については「なんでも一番いうのはいいと思うんですよ」と饒舌に語った。
「行き着いたところは世界、そこで一番を取ってしもうたら、これは破られるまで俺の天下やと(笑)。人がやれんことをやったんやから、自慢はできると思うんやよね」
店の前で取材のお礼を言って別れると、遠ざかっていく小さな背中をいつまでも見送った。
背番号25。勇者ブレーブスの代打男よ永遠なれ。謹んでご冥福をお祈りいたします。
文=佐藤正行 写真=BBM