巨人・斎藤雅樹のようなフォームの右投手が広島にいたのを覚えているだろうか。ロッテで引退後はロッテの本拠地・ZOZOマリンとも遠くない幕張の住宅地の中に整体院を開業したのが、山崎健さん。パンチ佐藤さんが、疲れた体を癒やされに行ってきたぞ! ※『ベースボールマガジン』9月号より転載 サイドスロー転向でクビがつながった

パンチ佐藤氏(左)、山崎健氏
現役時代、ウエスタン・リーグで対戦したことがあるという、山崎さんとパンチさん。お互い結果は覚えていなかったが、20数年ぶりの旧交を温めた。
「特にプロ野球選手になろうと思ってはいなかったけど、一生懸命やったら大学、社会人と道が拓けて、また一生懸命やったらプロで指名された」というパンチさん。一方、山崎さんは、小さなころからの夢がプロ野球選手だったという。
パンチ ドラフトで指名されて入団が決まったとき、広島カープにはどんなイメージを持っていましたか?
山崎 ピッチャーが錚々たるメンバーばかり、というイメージですね。
パンチ 僕は広島の野球というと、真っ先に広島商業の野球を思い出すんだけど。練習はどうでした?
山崎 僕が入ったときは、チーム全体での練習が多かったです。本当に団体生活ですね。1年目だったので付いていくのに必死で、個人練習ができるほど体力が残っていなかったのを覚えています。
パンチ そんな中で、「俺もプロでやっていけるかな」と思えたのは、どんなとき?
山崎 僕、初勝利が5年目なんです。プロ入り2年目にヒジの手術をしていて、5年目にはもうクビになりそうだった。その夏、サイドスローに変えて、初めて試合で結果が出ました。そこからですね。
パンチ どういうきっかけで、サイドに変えたの?
山崎 二軍の試合のとき、ブルペンで僕のピッチングを見ていたバッテリーコーチの片岡(新之介)さんが、ポロッと「横にしてみる?」とおっしゃいまして。「どうせクビになるんだったら、やってみます」と答えたら、「じゃあ、安仁屋(宗八=二軍監督)さんに相談しておいで」と。それで安仁屋さんに相談して、サイドに変えました。
パンチ 斎藤雅樹(元巨人)なんかも、藤田(元司)監督のひと言からだったって聞くよね。藤田監督が「斎藤、おまえの骨格と投げ方は、オーバースローじゃないぞ」と。横のほうがスムーズに動くからと言われて、サイドにした。片岡さんもそう思ったのかな。
山崎 たぶんそうだと思います。腰の使い方、回転が横なんですね。僕、サイドに変えたとき、目標にしたのが斎藤雅樹さんだったんです。斎藤さんをマネして投げていたので、球種もだいたい一緒でした。
パンチ 何を投げていたの?
山崎 真っすぐ、スライダー、シュートです。
パンチ それで1勝挙げて、「これはいける」と?
山崎 ところが、その年初勝利を挙げたあと脇腹を疲労骨折してしまいまして……(苦笑)。
パンチ 何やってんの!?(苦笑)
山崎 フォームを変えたばかりで、負担がかかったんだと思います。痛いまま投げて初勝利を挙げたら、肋骨にヒビが入っていた。翌年も出遅れてゴールデンウイークぐらいから一軍に上がって、なんとか9勝できました。
パンチ
阪神キラーだったって聞いていますよ。
山崎 初勝利が阪神で、そこから3試合連続完封をしました。ただ僕、阪神戦で結構打たれているんですよ。でもそれ以上に味方が点を取ってくれました。5回の完封のうち、3つが阪神なんです。あとは巨人と
ヤクルトで……。

広島時代の96年はシーズン4完封。背番号は翌年「17」になる(右から2人目が山崎健)
パンチ 斎藤(雅樹)さんと投げ合って勝ったんでしょう? それはいい思い出じゃない?
山崎 はい、2対0で勝ったんですが……自分が打席に立ったとき、3三振したので、その悔しさが強く残っているんです。松井(秀喜)とか抑えたのに、斎藤さんの球が1球もバットに当たらなかったのがショックで……。「なんでこんなに当たらないんだよ」と思いました。
パンチ 右バッターでしょ。あれは野手でも打ちづらいよ。
山崎 僕、打つほうも好きだったんです。入団したときから野手でもピッチャーでもどっちでもいいという感じだったこともあって……。でも斎藤さんの球、メチャクチャ逃げていくんですよね。自分ではとらえたつもりでも「あれ?」「くそっ!!」って(笑)。
パンチ それでも参考にしている人の軌道を自分の目でしっかり見られて、よかったね。
山崎 やっぱり球も速かったですね。
2005年のリーグ優勝がロッテ時代最高の思い出

ロッテ移籍後は中継ぎとして、バレンタイン監督時代の優勝にも貢献
パンチ それからロッテに行ったのは、どういういきさつがあったの?
山崎 その後、ケガもあったんですが、やはり思うように球が行かなくなり先発から外れて中継ぎになりました。最後の年(2001年)はもう、なんとなく先行きが分かっていましたね。
パンチ 何月ぐらいに言われたの?
山崎 10月ですね。ちょうどトライアウト元年だったので、テストを受けようと思いました。
パンチ 失礼だけど、ガタが来ていたんでしょう? そこからもう一回やりたいという気持ちは分かるけど、体的にやれると思ったの?
山崎 はい、絶対行けると思っていました。
パンチ そのときのトライアウトはどんな試験だった?
山崎 僕、トライアウト自体は受けなかったんです。個人的に、キャンプで千葉ロッテのテストを受けさせていただきました。
パンチ じゃあ、実戦でもしっかり投げたわけだ。自分としては満足のいく結果を出せた?
山崎 いやあ、そこは全然……(苦笑)。やはり練習をずっと休んでいたので。付け焼刃どころじゃなかったです。ただ、最初は「1日だけ」と言われて1日分の荷物を持っていったのに、結局最後のクールまでいさせてもらえました。
パンチ それはしめたもんだというか、やったぜって感じだね。決まったときは、どう思った?
山崎 自分はもう、ここ(ロッテ)で終わるんだろうなと思いました。よそから来た、外様の人間はちょっと成績が悪ければ、すぐクビになりますから。
パンチ ストレートな言い方をすれば、死に場所は決まったというか、もうあとはやるだけだ、と。
山崎 はい。それで結局、ロッテで6年やらせてもらえました。自分としても、そんなに長くできるとは思いませんでした。
パンチ ロッテでの一番の思い出は何?
山崎 2005年の優勝ですかね。ただ僕、肩痛で途中リタイアして、最後は一軍にいなかったので、胴上げの瞬間やビールかけには参加していないんですよ。
パンチ そうなんだ。でも僕なんか一度も経験ないからなあ。やっぱり違うんだろうなあ。
広島時代の11年間では100試合に満たなかった登板数が、ロッテでの6年間では128試合と、見事な復活劇を見せた山崎さん。
2007年の現役引退後は広島の在京担当スカウトに就き、09年にはロッテの二軍投手コーチ補佐を務めた。そのオフ退団後は球界から離れ、意外な仕事に就いていた。
運転手のつもりが介護スタッフに
パンチ ロッテから翌年の契約はない、と言われてまず、何を考えた? これからどういうふうに生きていこうと思った?
山崎 何も考えられなかったというか、「どうしよう」と思いました。それまで本当に野球しかやってこなかったので、世の中にどんな仕事があるのかも分からないし、サラリーマンが何をしているのかも知らなかったんです。
パンチ そこからどうやって、今の仕事に就いたの?
山崎 やめてすぐは、とりあえず介護の仕事に就いたんですよ。
パンチ それはすごいね。こう言っては申し訳ないけど、なかなかなり手のない、キツイ仕事というじゃない。なぜ介護だったの?
山崎 ちょうど新しい介護施設ができて、スタッフ募集をしていたんです。その中に運転手の募集があったので応募し、面接に行きました。そうしたら、面接の席で「介護スタッフをやりませんか?」と話をされまして。
パンチ 向こうも頭、いいな(笑)。挨拶はきちんとできるし、いい体してるし。そこで「はい」って言っちゃったわけだ。
山崎 いえ、最初「嫌です」と言って断ったんです。ところが非常に熱心に押してこられて、しぶしぶクビをタテに振りました。それですぐ、資格を取りにいきました。
パンチ 最初はどんな仕事から始めた?
山崎 デイサービスです。車で利用者さんを家まで迎えに行き、施設に連れてきて、足浴やトイレ介助をしてあげたり作業や体操のお手伝いをしたり。
パンチ それはすごい。そこではどのくらいの期間、務めていたの?
山崎 1年です。実は入社するとき、院長から「山崎さんにいつやめられてもウチは困らないんで」的なことを言われて、プチンと切れまして。1年経ったらやめてやる、と思いました。1年はしっかりやらないと、逃げたみたいで嫌だったので。
パンチ 負けず嫌いに火が付いたんだね。でも、そこの仕事で得たものもあったんじゃない?
山崎 利用者さんたちが僕のことをとても好いてくれて、マッサージなんかもとても喜んでくれたんです。野球の話をよくしてくれるおじいちゃんなんかもいらして、それは本当に良かったですね。
パンチ さて1年経った。やめて、何をやろうと思ったの?
山崎 またどうしようかと思ったとき、知り合いに「選手時代、ケガ続きでトレーナーさんとかいろんな人に散々体を診てもらっていたんだから、今度は自分が診るほうになったら?」と言われて、やってみようと思いました。そこで、まずは全国展開しているリラクゼーション店に就職して、揉みや整体など、教わりました。
パンチ それで、独立したの?
山崎 いえ、1年ちょっと務めてから、元千葉ロッテのスタッフが千葉でそういう店を開くので手伝ってくれないかと誘われ、そちらに移りました。
パンチ この仕事って、知識はもちろんだけど、実践でしょう? 人それぞれ筋肉の付き方も違うし、足中心がいい人もいれば、背中中心がいい人もいるし。
山崎 はい、僕はありがたいことに、トレーナーさんに毎日のようにやってもらっていたので、そこで覚えたものに、リラクゼーションの店で学んだものを交ぜて、今やっています。
パンチ 僕はバキバキ系がダメなんだけど……(笑)。
山崎 ウチは前身揉みほぐしなので、大丈夫ですよ(笑)。
パンチ お客さんによって話しかけてほしい人、黙っていてほしい人がいるじゃない。そういうのは、やっぱり揉みながらわかるもの?
山崎 揉んでいるとき、ちょっと痛いところがあると、体がピクッて反応するじゃないですか。そのときは、話しかけても大丈夫なんです。「痛かったですか?」と声を掛けると、何かしら答えてくださるので、そこで話を振って、その反応を見ます。僕の場合は、いかに気持ちよくなっていただくかが大切ですから。
優しい気持ちを大切に
パンチ どんな方法で、新規のお客さんを開拓しているの?
山崎 口コミと、チラシですね。マンションの一室でやっているので、なかなか一見さんの飛び込みは難しいんです。
パンチ それじゃあ、初めは大変だったでしょう。
山崎 最初は、千葉で手伝っていたときに付いてくれたお客さんが、ありがたいことに皆さん、こっちに来てくださいました。だから、お客さんがゼロということはあまりなかったんですよ。
パンチ それはよかったね。だって年配の方だと、スマホで検索するなんて、あまりなさそうだし。一方で口コミはいいことも悪いこともあるから、気を抜けないね。
山崎 そうですね。でも若いお客さんも、いらっしゃるんですよ。千葉マリンの売り子さんなんかも来てくれています。
パンチ 今、仕事をしていくうえで一番気をつけているのはなんですか?
山崎 クレームにつながらないように、ということですね。
パンチ そういう失敗談はある?
山崎 いえ、おかげさまで今のところないですね。
パンチ じゃあ逆に、こんなことを言われてうれしかったというのは?
山崎 やっぱり終わったあと、「気持ちよかった」とか「また来たい」と言ってくださると、うれしいですよね。
パンチ 僕も月に1、2回マッサージに行っているんだけど……もちろん山崎君も分かっていると思うけど、パッと触ってもらったときに、「おっ、今日は気合が入ってるね」とか、こっちも感じるんだよね。「今日はのってるね」とか(笑)。結構お客さんのほうも分かるのよ。だから、初めにここをオープンして、「お客さん、来るかな、来るかな?」って思っていたときにピンポーンってベルが鳴って、お客さんが来てうれしかったときの気持ち、マッサージが終わったあとに「ありがとう」って言われてお金をいただいて、「おおーっ!」って思ったときの気持ちを、いつまでも忘れずにやってほしいと思いますよ。
山崎 はい、それはいつも、そう心に留めています。
パンチ 将来的な夢は?
山崎 僕は独り者なので、このまま自分が食べていける程度に、続けていければいいかなと思っています。
パンチ ここまで話を聞いてきて、割と「しょうがないもんね」っていう感じがいつも漂っているんだけど……(笑)何型?
山崎 A型です(笑)。
パンチ 俺もA型だよ。A型だったらもっと考えない?(笑)ストレス発散はどうしてるの?
山崎 あんまり考えないですね。
パンチ え~っ、考えないの? いいね~(笑)。
山崎 野球のときのほうが、いろいろ考えましたけど。もう自分の好きなこと、やりたかったことをやってしまったので今、特に夢もないんです。
パンチ いつも心に置いている言葉はありますか?
山崎 気持ちを大切に。強い気持ちもそうだし、優しい気持ちもそうですね。
パンチ 真面目な気持ちもそうだね。じゃあ、まずはここでコツコツ、頑張っていくということだ。最後にこれから野球界を巣立つ後輩たちに向けてのメッセージをお願いします。
山崎 僕なんか、そんな言えるような立場ではないですけど……。でも、悔いなくプロ野球人生を終えている人は少ないと思うんです。僕はやめてもまったく悔いはなかったんですが……。パンチさんは悔いがありました?
パンチ 僕はなかったね。
山崎 そうですよね。だから、悔いを残さないようにやってほしいなということだけですね。
パンチ 夢だったプロ野球選手になれたんだから、引退したら切り替えてやっていかないとね。
山崎 はい。変なプライドは捨てたほうがいいですよね。
パンチ 山崎君にはこの仕事、合っている気がするよ。
山崎 はい、僕もそう思います。
パンチ なんかフワッと柔らかい物腰でね。お客さんの体と心をほぐしてくれる、そういう選ばれた人なんだな。
山崎 そうなりたいですね。ストレス発散しに来ていただければ。実際、お客さんには「揉んでいる間、ずっと愚痴を言ってもらってもいいんですよ」って言っています。
パンチ 僕は『元気配達人』っていうキャッチフレーズでやっているんだけど、山崎君もそういうポジションで頑張ってくださいよ。
パンチの取材後記
山崎君の明るく、前向きに物事に取り組む姿勢が、彼をいい方向に導いてくれた。だから今があるんじゃないかと感じました。僕もそうだったんです。芸能界で山崎君同様、仕事を選ばず、いただいた仕事をコツコツやっていました。そうしたら、「パンチはうまそうに食うなあ」と言ってグルメレポーター、旅番組の仕事をいただけるようになり、仕事が広がりました。見ている人は、見てくれているんですよ。
僕は『元気配達人』として自分が元気じゃないと、周りの人に元気を配達できないと思って、毎朝散歩しています。山崎君もほとんど運動していないようだから、毎朝1時間、爽やかな空気の中、ぜひ散歩を続けてください。そして、近所の方々に大きな声で挨拶する。それがいい宣伝にもなりますよ。
●山崎健(やまさき・けん)
1972年10月21日生まれ、東京都出身。関東一高からドラフト4位で1991年広島に入団。96年には4完封を含む9勝6敗、防御率3.38の好成績で先発ローテーションの一角として活躍。2002年にロッテへ移籍すると4年間で128試合に登板し、07年限りで引退。通算成績は222試合、17勝18敗4セーブ、防御率4.05。引退後は広島スカウト、ロッテコーチを経て、現在は千葉・幕張でリラクゼーション整体「健’s Treatment」を経営。完全予約制(090-3008-3781)
●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年
オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。
構成=前田恵 写真=犬童嘉弘