一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 1970年秋のドラフトはいかに?
今回は『1970年10月19日号』。定価は80円。
足踏みが続くセの巨人に対し、パで優勝目前の
ロッテだったが、2位の南海が意地を見せ、大阪球場での胴上げは阻止した。
ただ、もはや歓喜のときは時間の問題。
有藤通世も20号本塁打を放ち、チーム内の20本塁打以上は
アルトマン、ロペス、池辺、山崎、そして有藤で5人となった。
自慢の投手三本柱については東映・
張本勲の評があった。
まず
木樽正明。
「球がズシンとバットが押されるように重い。あれだけの威力がある投手はいない。真っすぐだけで勝負できる」
成田文男は、
「両サイドをシュート、スライダーで突くのがうまい。調子に乗せると怖いな」
そして最後が
小山正明。
「あのパームボールは分かっていてもファウルにするのがやっと」
ということだ。
MVPは木樽か成田と言われる中でチーム内の評価が高いのが、アルトマン。打つだけではなく、性格の良さでも信頼されている。
永田雅一オーナーは黒人キング牧師の死後、
「アルトマンはキング師の後継者にもなれる」と言っていたが……、やや意味が分からない。
完全な脇役だが、意外と貢献していたのが、代走屋の
飯島秀雄。ただ、それはグラウンドの活躍ではない。ベンチからのヤジだ。
味方にすれば明るく、敵からしたら、かなりどぎついものだった。張本が、
「お前のはえげつなさすぎる」
と怒っても、まったく意に介さず。度胸は大ベテラン並みだ。
その張本の4割挑戦はかなり難しくなっていた。あと15試合ほどを残し、3割8分前後。ひとまず
大下弘が持つ、打率.383の日本記録にターゲットを変えた。
一方、東映の後輩・
大杉勝男は9月30日時点で39本塁打、114打点で、南海・
野村克也と競っていた打撃2部門をほぼ手中にしていた。
11月9日のドラフト会議に向けた記事もあった。この年は箕島の島本、広陵の佐伯、岐阜短付の湯口(初出修正)が高校三羽烏。あとは前年のドラフトで大洋に1位指名され、拒否した
荒川堯がどこに行くかが注目されていた。
荒川は巨人か
ヤクルトと言って、大洋を断ったが、ヤクルトは熱心ながら巨人はほぼ荒川に興味を示していない。
いらないはずはないと思うのだが、退団濃厚と言われる義父の
荒川博と球団幹部の関係がこじれていたということだろう。
では、また(すいません、書き忘れ加筆してます。次は月曜です)。
<次回に続く>
写真=BBM