一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 最初から押し出し狙い?
今回は『1971年6月21日号』。定価は90円。
独走を続けてきた
巨人だが、5月22日から5勝4敗1分と少し足踏み。
うち26日が神宮での
ヤクルト戦だった。
三原脩監督が就任し注目されたヤクルトは、開幕から5勝2敗と好スタートを切ったが、以後、ふるわず、5月23日までに5連敗で順位も5位にしていた。
しかし、まず前日25日の同カードは、
溜池敏隆のサヨナラ本塁打で先勝。宿敵巨人相手に三原コンピューターが冴え始めていた。
26日の試合は、4対4のまま、ヤクルトが9回裏無死満塁とした。
打席には代打出場し、8回に二塁打を放っていた
外山義明。5月18日の巨人戦(富山)では9回に逆転の決勝本塁打を放った左打者だ。
投手、外野手の二刀流でヤクルト版三原マジックの象徴とも言えたが、投手としては波が大きく、25日の試合では先発し、4失点KOとなっていた。
ここで巨人・
川上哲治監督がマウンドに左の
高橋一三を送ると、三原監督はすかさず右打者の
大塚徹に。
左対右はセオリーともいえるが、打でもラッキーボーイ的活躍をしていた外山に対し、大塚はこの時点で打率.192。三原は真意を明らかにしていないが、のち、このときコーチだった
中西太さんが、大塚は三原監督に「アウトになってもいいから振るな」と言われていたと教えてくれた。
いわゆるかく乱だ。左投手に右を送れば、「打つ」と思うはず。高橋は別に右打者を苦にしないが、それは外角に沈む球スクリューがあったからだ。
ただし、この球は見送れば、ほとんどボールになる。
警戒させ、ボール球を投げさせ、決め球は見送る。ノーアウトだから三振になったら次の策に出ればいい、というところか。
高橋は2-2からストライク臭い球を大塚が見送った際、「これは、待て」かもしれないと感じたという。
しかし、大塚はここで芝居を打つ。
審判にボール交換を要求。森昌彦捕手は渋ったというが、審判がニューボールを高橋に送った。ここはあくまで勝負に行くと見せかけるとともに、力投型の高橋がやや滑りやすいニューボールで指先を誤れば、という考えもあったようだ。
試合後、巨人ナインは口をそろえた。
「大塚のボールを変えてくれ、という声が震えていた。あれは自分の意思ではないはずだ」
勝負というのは、面白い。ここで高橋がストライクを投げ切れば、のちに振り返ることもない普通のシーンだったが、次の1球が高めに外れ、押し出し。ヤクルトは2日連続のサヨナラ勝ちとなった。
ヤクルトで言えば、謹慎が明け、一軍出場を果たした
荒川堯が打撃不振で5月25日二軍落ち。三原監督は「鼻が高くなっている」と冷たく突き離した発言をしていた。
では、次回は5月7日に。
感染予防は大切なことですが、かなり長丁場になってきました。家に閉じこもってばかりは体の毒です。天気のいい日は外に出掛け、ぜひリフレッシュを。
<次回に続く>
写真=BBM