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プロ野球20世紀・不屈の物語

国民栄誉賞を固辞した福本豊の痛快/プロ野球20世紀・不屈の物語【1983年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

プロ野球が誇るスピードスター


阪急・福本豊


 弱きを助け強きをくじく生き様はヒーローの条件なのだろう。一方で、筆者の偏見には、弱きに対して傲慢な人に限って強きには躊躇なく服従する、というものがある。世の中にはヒーローにあこがれるあまり弱者を平気でダシにするような人もいて、ふだんは弱者の上に君臨して気持ちよくなっているのだが、こうした人は権力を前にすると悲しくなるほど従順になり、あこがれのヒーローとは真逆といえる姿を見せる。筆者の知る限りでは、これに例外はない。水は低きに流れていくのは当然であり、それに逆らって泳ぐのが難しいのも必然だ。

 逆に、弱い立場から強者に牙をむく人は勇ましく見える。ただ、こうした人には社会的に評価されてこなかった、つまり褒められ慣れていないといった傾向もあって、座右の銘に反骨と掲げていそうな人でも、いざ受賞の栄誉にあずかることになったら、どんな姿を見せるのかは未知数だ。

 その点、1983年の福本豊は、なんとも痛快だった。当時、娯楽の中心にあったプロ野球で、その中心にいたV9巨人に立ち向かっていった阪急の誇るスピードスター。もしも巨人の選手だったら、この物語は違った展開になったかもしれない。ただ、福本は黄金時代の阪急を、まさに駆け抜けていった。ドラフト7位での入団ながら、2年目の70年に75盗塁で初の盗塁王に。72年には106盗塁で世界記録を更新した。

 その後も盗塁を積み上げて、82年まで13年連続で盗塁王に。迎えた83年には、6月3日の西武戦(西武)で通算939盗塁となり、通算でも世界記録を更新した。ただ、9回表、敗色も濃厚だった場面での快挙で、走るつもりはなかったが、記録の更新を警戒してか、投手の森繁和が何度も牽制球を入れてきたことで「カッとなって三盗」(福本)してしまったのだとか。この83年には通算2000安打にも到達。近鉄のプロ3年目、大石大二郎に盗塁王のタイトルこそ譲ったものの、それでも55盗塁と、近年とは別次元の数字を残している。

 そんな福本に、国民栄誉賞を贈るという話が持ち上がった。2020年の現在まで各界の錚々たる顔ぶれが受賞しているが、そもそも77年に巨人の王貞治が通算756本塁打で世界記録を更新したのを期に創設されたもので、プロ野球との親和性も高い。72年にはMVPに選ばれ、ベストナイン、ダイヤモンド・グラブ(現在のゴールデン・グラブ)では常連と、プロ野球の世界では数々の受賞歴がある福本だが、この国民栄誉賞は固辞。このときのコメントもまた、なんとも振るっていた。

21世紀なら問題発言?


「そんなもん(国民栄誉賞)もろたら、立ちションもできなくなるわ」

 もし21世紀の出来事なら、いろいろと問題になった発言だろう。炎上したかもしれない。少年たちの見本たるべきプロ野球選手が立ち小便を奨励しているような発言で遺憾だ、国民栄誉賞を「そんなもん」とは何事だ、等など。当時も、国家から贈られる栄えある賞を(実は自分だって欲しいのに)断るなんてけしからん、という嫉妬に起因する同調圧力のようなものがあったことは想像できる。ただ、立ち小便が法的に問題があるのは現在も当時も同じだが、都市部にも立ち小便ができそうな空き地が多く残されていた当時、大人のプロ野球ファンは福本らしさを感じ、それまで見てきたヒーロー像とは一線を画す異質な英雄の登場に少年たちは驚き、あこがれた。

 福本は通算1065盗塁を残して、88年に阪急の終焉とともに引退。それも、阪急ラストゲームのセレモニーで上田利治監督が言い間違えて引退することにしてしまい、「もうええわ」と思っての引退で、あまりにもあっさりしたラストシーンだった。

 もちろん、国民栄誉賞の権威を否定するものでもないし、これを受けることは悪でもない。ただ、福本の言動は一貫していて、今風に言えばブレなかったのだろう。わざわざ弱きを助け、いちいち強きをくじかなくとも、つまり正義のヒーローなどではなくとも、弱きに対して思い上がらず、強きには礼を失しないまでもへつらわない人には、単純なヒーローにとどまらない魅力があるようだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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