今からちょうど30年前、1990年のセ・リーグ新人王となったのが、中日の与田剛だった。50試合に登板し、4勝5敗31S、防御率3.26の堂々たる成績で最優秀救援投手のタイトルも獲得している。
名前が示す通りの剛速球。8月の
広島戦では当時最速の157キロを記録した。ピンチでも怯むことなく、打者に真っ向勝負を挑む姿が印象深い。当時の
星野仙一監督は新人ながら抑えに抜擢、これがズバリ的中した。
思い出すのは前年秋のドラフト会議だ。8球団がドラフト1位で新日鉄堺の
野茂英雄を指名。中日も野茂が本命と見られていたが、競合を避け、NTT東京の与田の単独指名に成功した。
ただ、当時の映像で確認すると、与田の表情は非常に硬い。笑顔はなく、戸惑っているように見える。希望は在京球団。父親を亡くしており、自分が母親の面倒を見なければ……という理由だった。
その後は右肩を痛めたこともあり、1年目のような活躍はできなかった。96年途中で
内藤尚行とのトレードで
ロッテへ。
日本ハムと
阪神はテストを受けての入団。00年を最後に現役生活に終止符を打った。
1年目に酷使されたことが投手生命を縮めたという声もあったが、与田はきっぱりと否定している。「そうは思っていない。大役(抑え)を任されて幸せだった」。30年前の新人王は今、中日の監督として指揮を執っている。
ちなみに、この年のパ・リーグ新人王は野茂だった。近鉄に入団し、29試合の登板で18勝8敗、防御率2.91。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と投手タイトルを総なめにし、リーグMVPと沢村賞も手にした。
写真=BBM