一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 史上初の両リーグ首位打者にひた走る江藤慎一

3割の壁に苦しんでいた王
今回は『1971年9月6日号』。定価は90円。
セ、パを代表する2人の打者が不振に苦しんでいた(数字はすべて1971年8月16日)。
1人は前年4年連続首位打者、しかも史上最高打率.3834をマークした東映・
張本勲。空前の打高投低と言われるパの中で、いまだ打率.276と低迷を続けていた。
これは
田宮謙次郎監督と馬が合わなかったこともあったようだが、そこはハリさん、二度にわたって監督と差しで話し合いを持ち、和解。
「ワシはあくまで選手の立場。これからはどんなことがあっても監督をバックアップしていくぜ」と話し、3割についても、
「大丈夫、もうすぐ打ってみせる」
と豪快に言い放っていた。
一方、セでは
巨人・
王貞治だ。
三冠王を期待されたシーズンで、35本塁打、85打点はいずれもトップだったが、打率が.294と振るわない。
この時点の3割打者は.324の
長嶋茂雄だけだから悪いとは言えないのだが、8年連続3割超え、3年連続首位打者となっていただけに、表情が曇る。
「もう頭にこなくなった。どうやっても同じなんだ。すべてが終わっちゃったんじゃないかという気分になっちゃったよ」
らしくない寂しい言葉もあった。
悩んだあげく、愛用の圧縮バットではなく、少し軽いルイビルのバットを取り寄せたが同じだった。
一部からは長嶋と競っていることで、悩みが深まっているのでは、とも言われた。
実際、王はこんなことを言っていた。
「僕がホームラン王になるのは当たり前。打率3割は当たり前。評価はからいよ。でもチョーさんの場合は違うんだなあ。あの人には僕にはないプラスアルファの人気がある。どこまで頑張っても追いつけないプラスアルファがね」
現在は“浪人中”の恩師・
荒川博はラジオ解説で、
「言葉は汚いけど、いまの王はケツの穴が開いています。打席に立ったらケツの穴が開いてはいけません」
と不思議な表現をし、自分から「巨人の王」にアドバイスはできないと言いつつ、
「来てくれたら言うこともある」
とも話した。
ただ王は、
「自分でこの危機を脱出しなきゃ。いつまでたっても一本立ちできない赤ん坊じゃないよ、僕は」
と話していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM