一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ヤクルトの外山が「一番・投手」に

二刀流で話題となった外山。別に無観客試合ではない
今回は『1971年9月13日号』。定価は90円。
同じ号からまた。
以前、1971年のセが極端な投高打低だった、という話を書いたが、もう少し詳しいものを千葉功さん(当時は署名がないが)の「記録の手帖」553回から抜粋していく。
8月24日、残り30試合を切った時点でセの最多勝は
ヤクルト・
松岡弘の13勝だった。これではまず20勝には届かない。20勝投手不在となればセ、パ合わせて史上初となる。
ただし、防御率で見ると、この時点で10位の
江夏豊(
阪神)でも2.64と悪くない。ちなみにパで10位なら
鈴木啓示(近鉄)だが、防御率は3.56。されど江夏が9勝、鈴木は15勝である。
もちろん、勝敗は防御率だけではないが、問題は過密日程だ。
これも以前に書いたが、日米野球に間に合わすため、セでは異常にダブルヘッダーが増えていた。
巨人で言えば、前年は1回だけなのに、この年はすでに12回あった。
大洋・
平松政次を例に挙げよう。
8月13日からの11試合中、70年は6試合に登板し、2勝2敗。
71年は14日からの11試合中、3試合に登板し、2敗。
ただ、70年は17日で11試合だったが、71年は9日間で17試合だった。
これでは登板数は増えない。
ただし、当時、特にセでは20勝がなかなか出なくなってきたのは事実だ。66年からは4年連続で2年連続20勝がいなかった。
解説者の
別所毅彦は「1年ぽっきりの20勝で、何が20勝投手でごさいだ。3年連続して初めて本物じゃないか。20勝投手はどんな安っぽいもんじゃない」と言っていた。
8月上旬の2位から一気に最下位まで急降下したヤクルトだが、22日の対大洋ダブルヘッダーの前、
三原脩監督はなぜか上機嫌で、
「どうも負け続けで話題がありませんな。今日はみなさんに格好の話題を提供しましょう。外山を先発させ、一番を打たせますから」
外山義明といえば、二刀流で話題になった男だが、一番には報道陣もびっくり。
実際、2試合目に一番・投手で出場したが、初打席はファーストゴロ。2回に打ち込まれ、すぐ交代となった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM