7月4日に行われた
巨人対中日戦(東京ドーム)で、中日の
アリエル・マルティネスが6回表に代打で出場し、その裏に捕手として守備位置に就いた。外国人捕手の公式戦出場は2000年以来20年ぶりというレアケース。さらに7月5日の同カードでは、マルティネスが29年ぶりとなる外国人捕手の「スタメン出場」を果たした。では、マルティネス以前に出場した助っ人捕手は誰がいるのだろうか?
1リーグ時代に活躍した2人の助っ人捕手
日本プロ野球史上、初めて捕手として出場した助っ人は
バッキー・ハリスだ。日本でプロ野球が初めて行われた1936年に名古屋に入団し、4月29日に行われた開幕戦で「三番・捕手」でスタメン出場を果たした。ちなみにこの試合で名古屋の助っ人投手、
ハーバート・ノースが2番手で登板し、いきなり外国人バッテリーが成立した。さらにノースは「日本プロ野球公式戦最初の勝利投手」にもなっている。つまり、日本プロ野球1年目の開幕戦は助っ人捕手で、その試合で勝利を挙げたのも助っ人だったのだ。
1937年には、秋季シーズンから大阪に入団した日系アメリカ人の
田中義雄が正捕手として出場。四番としてもチームを支え、リーグ2連覇の原動力となった。田中は7年間にわたりチームをけん引し、1944年に軍役に就くために引退した。その後は1958、1959年と大阪の監督を務め、
村山実や
吉田義男といったスターを育てた。
助っ人捕手が充実していた1950年代

毎日・ルイス
NPB黎明期の1950年代は多くの外国人捕手が登場した。まずは3年連続でベストナインに選ばれるなど輝かしい活躍を見せた巨人の
広田順(日系アメリカ人)だ。1952年に巨人に入団し、1956年に退団・引退するまで捕手として423試合に出場。この数字は外国人捕手としては最多だ。
毎日からは2年連続で外国人捕手が登場した。1953年の
チャーリー・フッド(毎日)と1954年の
チャーリー・ルイス(毎日)だ。フッドの捕手出場はわずか2試合だが、日本プロ野球史上初となる3イニング連続本塁打を記録している。一方のルイスは2年連続で130試合以上に出場し、ベストナインも連続して受賞した。
1954年に高橋に入団した
サル・レッカは2年間正捕手として出場した助っ人だ。打力も高く、1954年にはリーグ4位の23本塁打を放っている。高橋(1955年にトンボへとチーム名変更)からは翌1955年にも外国人捕手が登場している。それが
ドン・ブッサンだ。捕手として登録されていた選手ではないが、人員不足の際の緊急措置として1試合だけマスクをかぶった。
1956年には南海の
藤重登が日系アメリカ人選手として捕手出場を果たしている。しかし、当時の南海には
野村克也という不動の存在がいたため出場機会がほとんどなく2年で退団。その後、上述の田中義雄の薦めで
阪神に入団し、3年間プレーした。
1959年に近鉄に加入した
ロン・ボトラは同年に捕手として出場機会を得るが、翌1960年は投手に登録変更し、2年間で6勝を挙げた。捕手・投手の両方を経験している珍しい助っ人だ。
毎日からは2人の外国人捕手が登場
1960年代は大毎に所属した2人の外国人捕手が出場を果たしている。まず1人目がハワイ出身の
神谷雅巳。ただ、出場はシーズン最終盤(10月15日)での1試合のみで、結果は3打数無安打。翌1962年も在籍したが、出場なしで退団している。もう1人は1962年に加入した
ニック・テスタ。外国人投手専用の捕手として起用され57試合に出場した。
1962年に東映に入団した韓国人の
白仁天は、1963年に捕手としてスタメン出場。翌1964年は正捕手の座をつかみ取り、その後11シーズンにわたりチームの柱として活躍した(当時のNPBでは「出生時に日本国籍を持っていた外国人は外国籍扱いをしない」という規定のため白は日本人選手扱い)。
1970年には、外野手登録だった
広島の
エイドリアン・ギャレットが捕手として出場。
ギャレットはオールスターゲームで1試合3本塁打を放つなど強打が武器の選手だったため、当時の
古葉竹識監督が「相手打線に驚異を与えるための奇策」として捕手出場させたといわれている。
29年前はロッテのディアズがスタメン出場
マルティネスからさかのぼること29年、スタメンでマスクをかぶったのがロッテの
マイク・ディアズだ。1989年に助っ人外野手として加入したディアズは、2年連続で3割、30本塁打、100打点を記録。強打を武器に活躍したが、もともと捕手だったこともあり、当時の
金田正一監督の提案で捕手としても出場することになった。この年は15試合でマスクをかぶり、翌1991年も捕手として5試合に出場。しかし、6月12日の試合で右肘を骨折し、以降は捕手で起用されることはなくなった。
ディアズ以降はスタメン出場の機会が与えられた外国人捕手はいないが、ピンポイントでの出場では
フランシスコ・キャブレラと、
ディンゴ(デーブ・ニルソン)がいる。1994年に
オリックスに加入したキャブレラは、チームの期待に応えられずに1年で退団したが、捕手として1試合に出場している。中日のディンゴも加入した2000年に1試合のみ捕手で出場。どちらも別のポジションで登録された選手だが、緊急措置として捕手を務めることになった。
捕手として出場した外国人助っ人は、当時の規定で外国人選手として扱われない白仁天を加えてもこれまでに16人しかおらず、今回のマルティネスで17人目。1936年から続く日本のプロ野球の歴史からするとやはり少ない。日本人投手とコミュニケーションがスムーズに取れないことなどが理由で起用が避けられてきたが、もしマルティネスが大当たりした場合は、各チームで「外国人捕手の起用」が進む可能性もあるだろう。それだけに、マルティネスが今後どのような活躍を見せるのかに注目したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM