
2001年、リーグ優勝を決め胴上げされる近鉄・梨田監督
今シーズンは昨年最下位だった
ヤクルトが好調で、現在
巨人、
DeNAと首位争いを繰り広げている。もし優勝すれば昨年最下位からの優勝となるが、「前年最下位だったチームが翌年優勝した例」は過去に何度あるのだろうか?
NPB初の「前年最下位からの優勝」は1960年の大洋
2リーグ制となった1950年から2019年までの70年間で、前年最下位だったチームが翌年リーグ優勝を果たしたのは全部で5回。
NPB史上初めて「前年最下位からの優勝」を果たしたのは1960年の大洋だ。1959年、49勝77敗4分で6年連続の最下位に沈んだ大洋は、新監督に名将・
三原脩を招聘。するといきなり「三原マジック」がさく裂し、70勝56敗4分でチーム発足から初のリーグ優勝を果たした。しかし、翌1961年は再び最下位に沈み、その後は1998年に優勝するまで長いトンネルに入ることになった。
次は1975年の
広島だ。当時3年連続最下位で最下位だったチームを立て直すために、球団初の外国人監督としてジョー・ルーツ監督が就任。しかし、審判との衝突やフロントへの不信感が募ったことが原因でシーズン序盤に退団してしまう。いきなり監督交代というドタバタがあったものの、後を継いだ
古葉竹識監督が巧みな采配を見せ、
衣笠祥雄、
山本浩二など主力選手も奮起。72勝47敗11分の成績でチーム初優勝を果たした。

1976年、リーグ優勝を果たした巨人・長嶋監督
翌1976年は、
長嶋茂雄率いる巨人が「前年最下位からの優勝」を達成した。1975年に長嶋が巨人監督に就任するが、47勝しか挙げることができずに球団初の最下位に沈んでしまう。巻き返しを図りたい巨人は
日本ハムから
張本勲を獲得するなど選手の大幅入れ替えを敢行。これが功を奏し、5月には14連勝。8月には7連敗を喫するも後半で13連勝と好調を維持した。同じく好調だった
阪神と最後まで争った末、チームとしては3年ぶり、長嶋監督は初となるリーグ優勝を遂げた。
劇的な優勝を果たした近鉄、主力がタイトル独占のヤクルト
2000年にリーグ最下位に沈んだ近鉄は、翌2001年は開幕から好調で、4月終了時点で早々に首位に立つ。5月は打ち込まれる試合が続き一時は4位にまで転落するも、6月から再び息を吹き返し、以降はダイエーとの激しい首位争いを繰り広げた。近鉄は9月26日に優勝マジック1で
オリックスと対戦。この試合は2対5と3点ビハインドで近鉄が9回裏の攻撃を迎えるが、無死満塁で代打に指名された
北川博敏がまさかの満塁弾。奇跡の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」で劇的なリーグ優勝を決めた。

2015年、リーグ優勝を遂げて胴上げされるヤクルト・真中監督
2015年にはヤクルトが「前年最下位からの優勝」を果たしている。当時2年連続で最下位のヤクルトだったが、2015年は攻撃陣・投手陣ともに目覚ましい活躍を見せた。特に打撃陣は好調で、
山田哲人がトリプルスリーを達成し、さらに最多本塁打、最多盗塁のタイトルも獲得。また、
川端慎吾は首位打者、
畠山和洋は最多打点と、チームの主力がタイトルを独占した。
1950年以降で前年最下位から優勝したのは以上の5回。過去70年で5回なので、実はかなり珍しい記録でもある。特にパ・リーグは2001年の近鉄が唯一で、現存する6球団はいずれも未達成。ちなみに、1950年以降で「前年最下位で翌年2位」という「惜しい例」は過去12回あり、最多は
中日の3回(1964-1965年、1992-1993年、1997-1998年)だ。
今シーズン「前年最下位からの優勝」のチャンスがあるのはヤクルトとオリックス。ヤクルトがリーグ優勝すれば「同一チームで2回目」という初めての記録になる。果たしてヤクルトとオリックスは最下位からの優勝という快挙を成し遂げるのか、今シーズンの活躍を期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM