王手から3度目の正直
雨中のヒーローインタビュー。ナインによる胴上げもあった
1980年6月2日、後楽園は雨だった。
19分遅れで始まった対
ヤクルト戦の先発マウンドに立ったのは、
巨人のベテラン右腕・
堀内恒夫だった。初回に1点を失ったが、2回以降は気合と技術のピッチングで無失点に抑え込む。雨でマウンドが軟らかくなってからは、足が滑らぬよう無走者でもセットポジションに切り替えて1球、1球、慎重に投げた。打線も3回までに効率よく4点を取り援護する。
「5回で交代かと思ったが、(
長嶋茂雄)監督はそんなそぶりを見せないし、援護も理想的。投げ切らなくてならんと覚悟したよ」
と堀内。これまで「草野球」と揶揄されることもあった守備陣も好守がいくつも見られた。
前回の堀内登板試合(5月24日
阪神戦)は、9回裏一死一、二塁からライトフライをポロリ。阪神にサヨナラ勝ちを許した
淡口憲治が雨で滑る人工芝で判断よくスライディングキャッチを見せたシーンもあった。
試合は7回表の前に雨が強まり、11分の中断の後、6回降雨
コールド。5対1で堀内は勝利投手となった。
「悪運が強いんだ。僕の野球人生と同じだね」
この年7試合目での2勝目は史上16人目の通算200でもあった。ドラフト制後に入団した選手では近鉄・
鈴木啓示に次ぐ2人目となる(66年入団)。
堀内はルーキーイヤーに16勝を挙げ、V9時代のエースとなったが、常に相手のエースクラスに当てられること、優勝が決まってからは日本シリーズの準備もあって登板が減るなど、常勝チームのエースゆえのハンデもあって20勝以上は72年の26勝のみだった。さらに近年は徐々に球威が落ち、79年はわずか4勝に終わっていた。
「スピードが落ちてきた今、この1勝はうれしい」
5月8日、
中日戦で199勝を挙げてから3度目の正直。その間、母親は願掛けで好きなお茶断ちをしていたという。
笑顔のインタビューも家族の話になると次第に涙目になる。最後は照れくさそうに、
「もういいだろう」
と言って切り上げた。
その夜、堀内の自宅には友人が30人以上集まり、朝までどんちゃん騒ぎ。「万歳三唱もあって、近所はうるさかったと思うよ。頭を下げて回らんといかんな」と堀内。翌日、グラウンドに現れたときは、「二日酔いでグラウンドが揺れている」と言っておどけた。
写真=BBM