1950年から2004年まで存在した近鉄の通算勝利数トップ10は以下になる。
1位・鈴木啓示 317勝
2位・
佐々木宏一郎 113勝
3位・
武智文雄 100勝
4位・
柳田豊 94勝
5位・
清俊彦 85勝
5位・
村田辰美 85勝
7位・
高村祐 83勝
8位・
神部年男 80勝
8位・
山崎慎太郎 80勝
10位・
板東里視 79勝
大エース・鈴木啓示が断トツなのは当然だろう。「最後の300勝投手」という呼び方も決して大袈裟ではない。NPBにおける200勝到達さえ、2008年の
山本昌(
中日)が最後。現役最多は
石川雅規(
ヤクルト)の171勝と考えると、通算300勝をクリアする投手は、野球のシステムそのものが変わらない限り(例えば公式戦がシーズン200試合くらいになるとか)、300勝投手は二度と現れないはずだ。
鈴木啓示のすごいところは、チーム内で唯我独尊的な存在だったとはいえ、勝てそうな試合で5回からリリーフ登板するなど、勝手な振る舞いがなかったことだ。それは
三原脩監督、
西本幸雄監督と、カリスマ監督だった時代が長かったおかげでもある。鈴木啓示は無四球試合78、被本塁打560と日本記録保持者。被本塁打の多さは球場の狭さもあっただろうが、逃げずにストライクを投げ続けた結果であり、誇るべき記録といえる。
ベスト10の投手の数字を見ると、勝ち越しているのが鈴木啓示の他に5位の清俊彦(85勝82敗)、8位の神部年男(80勝73敗)しかいないのは、このチームらしいといえるか。そういう意味でも、鈴木啓示の「317勝」だけでなく、「貯金79」という数字は突出している。
近鉄・佐々木宏一郎
鈴木啓示の他に近鉄で100勝以上に到達しているのが佐々木宏一郎、武智文雄の2人。いずれも負け越しているが、通算防御率は3.20、2.97と悪くない。近鉄が優勝争いに絡むチームになる前の不遇の時代を陰で支えた功労者といっていいだろう。4位の柳田豊も、西本監督時代に先発、リリーフと大車輪の活躍を見せ、初優勝に貢献した。5位の村田辰美は「ポスト鈴木啓示時代」、7位の高村祐は「ポスト阿波野・野茂時代」を支えた実質エースというべき存在だった。
近鉄球団の歴代エースの系譜といえば、思い浮かぶのが「鈴木啓示→村田辰美→
阿波野秀幸→野茂英雄」だが、阿波野と野茂はベスト10に入っていない。阿波野は67勝で14位、野茂は78勝で11位だ。意外な気がするが、プロ1年目から4年連続2ケタ勝利だった阿波野は、野茂が1年目だった90年が最後の2ケタ勝利。同じくプロ1年目から4年連続2ケタ勝利(全部リーグ最多勝)だった野茂は、5年目が終わったところで退団し、渡米。2人とも、近鉄での活躍はいずれも長続きしなかった。野茂が1年目だった90年の時点では「左右の両エースによって向こう10年は安泰」と思われていたのに、分からないものである。
野茂は139試合の登板で78勝46敗1セーブ。つまり、139試合のうち約89.9パーセントにあたる125試合で「勝ち」「負け」「セーブ」のいずれかが付いていた。いかに、勝敗の決着がつく最後まで投げ続けることが多かったかが分かる。指名打者制のパ・リーグ特有の現象ではあるが、当時の野茂は間違いなくエースだった。
写真=BBM