一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 固まらぬカープのサード

大洋入りしたボイヤー(右。初出修正)とシピン。彼らの加入は、球団史のエポックとなる
今回は『1972年1月3.10日合併号』。定価は120円。
優勝請負人・
青田昇がコーチとなり、ヤンキース黄金時代の三塁手ボイヤー、ボイヤーの推薦で獲得した内野のマルチプレイヤー、シピン、さらに
ロッテの首位打者・
江藤慎一が加わった1971年3位の大洋。
打倒
巨人の台風の目になるのでは、とも言われたが、一方で疑問の声も多かった。
1つは足の肉離れが持病のようになっている江藤慎一の守備だ。一塁手には看板打者の1人、
松原誠がいた。松原はサードもできるが、サードにはボイヤーが入る。
こうなれば、江藤は外野しかない。
中部謙吉オーナーは、
「まずいと言ったって君、正面の打球が捕れないわけじゃないだろう。ラインでも引いておいて、そこに来た球は必ず捕る。それ以外はほかのものがカバーしてやると決めておけばいいんだ」
と乱暴に言う。肩を考えればレフトだろうが、大洋はシュート投手が多いので、結構、打球が飛んでくる。
外国人にしても実績あるボイヤーにはトラブルメーカーのウワサがあり、25歳のシピンのプレーは誰も見たことがない。
はまればいいが、はまらなければもろいだろう、というのが大方の声だった。
クリープランド・インディアンスのキャンプに選手たちを送り込み、ダークホース的存在と言われるのが、4位だった
広島だ。
確かに71年はエース・外木場の不振もあって、3.11でリーグ最下位のチーム防御率ながら、外木場、
大石弥太郎、
白石静生、
安仁屋宗八、
藤本和宏らがそろう投手陣はリーグトップクラスとも言われた。なお、3.11はパならリーグ最高。セの投高打低ぶりが分かる。
野手陣では三塁が穴とも言われていた。71年のサードは
井上弘昭だったが、外野からコンバートされたばかりの選手で守備はいまひとつ。ほかタイガースのマイナーから獲得するという新外国人ネグルソン、投手からコンバートした
西本明和も鍛えているが、決め手は欠ける。
ちなみにネグルソンは、この年のメンバーにはいない。これから話がポシャるのか。
数年後になるが、サードが固まったとき、カープは本当に強くなった。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM