一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 松田オーナーの情熱

打率.285ながらリーグ2位だった衣笠(左)
今回は『1972年1月24日号』。定価は90円。
71年、63勝61敗で4位に入った
広島。打撃ベスト10の2位に
衣笠祥雄、3位に
水谷実雄が入り、投手陣では防御率1位に
藤本和宏がいる。特に衣笠は27本塁打、82打点の好成績を挙げていた。
投打の若手の成長で、いまや「
巨人に次ぐ将来性があるチームでは」とまで言われていた。
カープは当時の12球団で唯一独立採算制を取っていた。
草創期から支えた熱心なファン、球場使用料の安さなどもあって、東洋工業から支援のみで赤字なくやっているのはすごいが、逆に言えば、それは予算内でやっているということでもある。
ベテラン選手になると、
「どうせ給料は上がらないのだから、細く長くのほうがいい」
ともらすものもいた。
根本陸夫監督の下、一時、
関根潤三、
広岡達朗ら大物外様コーチがいた首脳陣も、いつの間にか生え抜きで固められつつあった。
ただ、この衣笠、水谷もそうだが、ほか
山本浩二ら、“なあなあ”(初出修正)の空気に甘んじない若手がすでに頭角を現していた。
加えれば、松田オーナーの存在も大きい。自らアメリカに行って外国人選手を探したり、インディアンスのキャンプへの参加を決めてきたりと積極的にチーム強化に動いていた。
75年には山陽新幹線が広島まで伸びる。これまで苦労してきた遠征が画期的に楽になるはずだ。
カープの時代が着々と近づいていた。
ちなみに以前書いたサード候補のネグルソンは「日本に行きたくない」とごねたようで契約はかなわなかった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM