一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 八重樫には内野手転向を指示

金城(73か74年の写真)
今回は『1972年3月13日号』。定価は100円。
春季キャンプたけなわ。いわゆる、各球団の“秘密兵器”を紹介する特集があった。
「うちには秘密兵器がある。ひょっとしたらローテーションの一角に食い込むかも」
と
広島・
根本陸夫監督が話していたのが、71年此花商高からドラフト5位で入団したアンダースロー投手、
金城基泰。紅白戦で、まったくヒットを打たれていなかった。
1年目から球威には定評があったが、とにかく制球難。ウエスタンでは5連続四球もあったという。見た目は優男だが芯は強く、四球連発でコーチがマウンドに行っても、
「いやあ、これからですよ」
と涼しい顔で話したという。
ライバルは同期のドラフト1位・
佐伯和司。この年の広島はアメリカ・キャンプを行い、22日に出発。佐伯はアメリカ組、金城は残留組で明暗が分かれたが、
「とにかく、佐伯に負けるな、でやってます。みんながアメリカに行っている間にしっかり鍛えて、きっと公式戦に通用する技術を身につけます」
と意気軒高だった。
ヤクルトでは
三原脩監督が70年ドラフト1位入団の捕手・
八重樫幸雄に内野手転向を指示。強打の捕手として将来を期待されていたのだが、
大矢明彦の台頭でチャンスがなくなったからだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM