一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 オーナー会議の迷走

西鉄時代の池永
今回は『1972年4月24日号』。定価は100円。
以前も書いたように、
ヤクルトの松園オーナーが、黒い霧事件で永久追放となった元西鉄・
池永正明の球界復帰を求める発言をし、1972年4月3日のオーナー会議で意見書を配った。
これについては、
ロッテの中村オーナーが支持、
広島と阪急のオーナーが反対したが、ほかのオーナー(代表)は意思表示をしなかったという。
ただし、もともとこのオーナー会議は代理人が3人以上いたため、規定により、採決はできなかった。ただ単に、そういう意見が出た(言いたい人が発言した)というだけで終わり、特に、この議題をあらためてどうこうとはならなかったようだ。
今に続く、日本社会らしさがある。
松園オーナーの意見書には、
「プロ野球という一自治体が国法以上の重罪を科し、更生の道を閉ざしていいのか。処罰者にも更生のチャンスを」
とあった。
これに対し、阪急の渓間代表は、
「国会でも追及されるほど大きな問題であった。軽々しく復帰問題を持ち出されては」
と反論したという。
八百長行為が問題となり、多くの処分者が出た黒い霧事件。
もちろん、それも球界の汚点なのだが、その後、自らの球団の利益やメンツ、マスコミ、世論、さらに政治家の圧力に忖度し、右へ左へ大揺れし、根本的な部分まで踏み込まなかった球界にも大きな問題がある。
池永にしても、自身も、そして八百長を持ちかけた
田中勉も「(池永は)八百長をしていない」と断言しているのに「金を一時的に預かった。それを球団に報告しなかった」のが永久追放の理由となった。
本当かどうか分からないが、池永が田中に言った「100勝を目的にしている」という言葉(その時点では100勝手前)を、供述書を作成した西鉄の球団職員が、「100勝するまでは八百長ができない」というふうに解釈して書いてしまった、とも言われた。
また、生意気な言動が多かった池永の態度がマスコミに好かれておらず当時から何かと批判されがちだったことも確か。この時点でも週刊誌は飲み歩く姿を挙げ、
「遊び歩き、悔い改めたとはとても言えない」
とも書いていたようだ。野球を奪われた野球選手は寺に籠れとでも言いたいのだろうか。
ひそかに出回っていた八百長のブラックリストには41人の名前があった。
池永復帰に反対した阪急の主力選手3人が載っていた。
以上、大井廣介のコラムを参考に書いた。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM