月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2020年10月号ではロッテオリオンズ時代の落合博満に関してつづってもらった。 出塁率.481、得点圏打率.492
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ロッテの四番として猛打を振るった落合
今月号はオリオンズの特集を組んでいるが、私が実際に対戦して印象に残っている選手といえばやはり落合博満になるだろう。1979年、東芝府中からドラフト3位でロッテに入団した落合。1年目は36試合の出場で打率.234、2本塁打、7打点に終わったが、2年目は打率.283、15本塁打、32打点とステップアップ。そして3年目、127試合出場とレギュラーの座をつかみ、打率.326で首位打者を獲得し、33本塁打、90打点をマークした。
広角に打ち分けるバッティングは秀逸で、スタンドに叩き込むパワーもある。4年目の82年には打率.325、32本塁打、99打点で三冠王に輝いたから脱帽だ。83年も打率.332で3年連続首位打者。84年はタイトルを獲得できなかったが、打率.314、33本塁打、94打点と好成績を残した。しかし、これで満足することなく85年には打率.367、52本塁打、146打点、86年には打率.360、50本塁打、116打点とパワーアップを果たして、文句をつけようがない成績で2年連続三冠王に。私が考えるに、史上最強の四番打者であったとも言えよう。
あらためて85年、2度目の三冠王に輝いたときの成績を見てみる。右打者で、ほぼ内野安打がない中で.367の高打率は驚異的だ。さらにリーグ1位の101四球を選び、出塁率は.481。抜群の選球眼を誇り、約2打席に1度は出塁している計算になるから恐れ入る。そして、シーズン歴代6位タイの52本塁打を放ちながらも、三振はわずかに40。巧みなバットコントロールが見て取れるだろう。さらに同4位タイの146打点。得点圏打率は.492を誇っていた。
このころの落合は弱点が見当たらない状況。リーグ屈指の
西武投手陣に対しても強さを発揮した。85年は打率.387、12本塁打、25打点、86年は打率.313、13本塁打、25打点と西武投手陣を打ち込んでいる。ただ、
渡辺久信に対しては85年、86年はそれぞれ5打数1安打、9打数2安打、
郭泰源には5打数1安打、7打数0安打と剛速球、快速球を持つ投手は若干、打ちあぐんでいたようだ。
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1985年、2度目の三冠王を獲得(右は信子夫人)
ロッテの本拠地が狭い川崎球場だったことも落合にとってはプラスになったのかもしれない。無理に引っ張らなくても、右に流してもスタンドインさせることができる。それがセンター方向に打ち返すバッティングの基本スタイルを突き詰めることにつながったのだろう。やはり、率も残したいのであれば引っ張り一辺倒では限界がある。
どの打者も対応に苦慮する内角高めにも巧みに対応。体の軸でしっかりと回転し、さばく。黄金時代の西武の四番・
清原和博はこの技術を持っていなかった。落合は配球もきっちりと読んでいたから、時に狙い澄ましたように内角高めをとらえてスタンドまで運んでいた。
日米野球で目にしたボンズが同じ練習法
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メジャー屈指のスラッガーだったボンズ
私がコーチ時代、落合の打撃練習を見ていて不思議に思っていたことが一つあった。普通、打者は試合前に打撃投手が投げる、ある程度スピードがある投球を打ち返す。本番ではさらに速い球に対応しなければいけないのだから、それは当然だろう。私も現役時代、何の疑いもなく打撃投手が一生懸命に投げてくれた球を必死になって打ち返していた。
しかし、落合は違う。打撃投手が投げるのは山なりの球。それに対してスイングを繰り返していた。「あれで、よく本番で打つことができるな」と私は不思議に思っていたものだ。その理由を直接、落合に聞いたこともなかったが、もしかしたらこういう意図があったのではないか、と腑に落ちた出来事があった。
それは2002年のことだ。この年、西武監督に就任して優勝を果たした私はオフに行われた日米野球にコーチとして参加した。
イチロー(マリナーズ)を筆頭にデレク・リー(マーリンズ)、ジェイソン・ジアンビー、
バーニー・ウィリアムス(ともにヤンキース)、トリー・ハンター(ツインズ)ら錚々たるメンバーの中にいたのがバリー・ボンズ(ジャイアンツ)だった。ボンズは前年、世界記録であるシーズン73本塁打をマーク。02年も打率.370、46本塁打、110打点をマークしたメジャー屈指の左のスラッガーだった。
ボンズの打撃練習を見ていると、投手がスローモーションで投げていた。当然、スピードのない球になる。落合と同様、ボンズもそれをひたすらに打っていた。なぜ、そうしているのか。本人に直接ではなく、誰かがその理由を解説しているのを聞いた。要は特にメジャー・リーグの投手は快速球を投げ込んでくる。それに対して、しっかり打とうと思えば思うほど、気持ちが焦ってしまう。始動を早くして、タイミングが遅くならないようにしようとする心掛けが、逆にタイミングが早過ぎることにつながってしまう。だから、打撃練習ではゆっくりと、自分のペースでタイミングを取ることを体に刷り込ませるというのだ。
ボンズは構えからほぼ動くことなく、投球に対してバットを出していく。しかし、気持ちの中ではゆっくりとバットを引いてトップを作り、タイミングをしっかり取る……という作業を行っているのだという。おそらく、落合も同じことを考えていたのではないかと思う。ボンズと違い、落合は打席で体の正面にバットをゆったりと構え、そこからしっかりと間合いを取りながらバットを後ろに引いてトップを作り、体重も軸足にためて球を呼び込んでいく。その秘密の一端が少し分かったような気がした。
しかし、それも誰にでも合うものではないだろう。例えばこれも最高の四番打者だった
アレックス・ラミレス。外国人選手としては初のNPB2000安打を達成した好打者だが、
巨人でヘッドコーチを務めていた私は08年に
ヤクルトから移籍してきたラミレスと3年間、ともに戦った。08年は打率.319、45本塁打、125打点、09年は打率.322、31本塁打、103打点、10年は打率.304、49本塁打、129打点をマーク。09年は首位打者、10年は本塁打王、08、10年は打点王を獲得している。08、09年の優勝に貢献してくれ、09年には7年ぶりの日本一にも押し上げてくれた。
このラミレスは打撃練習では、打撃投手が普通に投げる球をすべてフルスイング。1球たりとも気を抜くことなく、すべて左翼席へたたき込む意識でバットを振っていた。04年から11年まで落合は監督として
中日を率いたが、その間、誰か打者を育てたということがなかったように思う。やはり、その独特の感性を教えるというのはなかなかに難しいのかもしれない。
写真=BBM