コロナ禍の状況だからこそ
近い将来必ず都市対抗が行われる東京ドームへと意気込む(左から巽、築山代表、比嘉)
近年、社会人野球チームが減少する中で今春、都市対抗野球出場を目指して新たなチームがスタートを切る。
「コロナ禍の状況だからこそ、チャンスがあると思い、新チーム立ち上げることを決断しました」
こう語るのは東京都に拠点を置く株式会社日本晴れ代表の築山俊和氏。建設系企業の代表取締役社長として従事する中で新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けて、昨春に建設現場が10日以上、止まってしまった。
「仕事の現場が止まったとき、今がタイミングだと思いました。すぐに沖縄に飛び、まずは南の地から高校や大学を卒業後、まだ野球を続けたい子がいないか、各学校の野球部監督に挨拶に回りました」
コロナ禍の中で大きな影響を受けているのはプロ野球界だけではなく、アマチュア球界も同じだった。チームの運営費や選手獲得に動く予算などが削減され、行き場を失ったアマチュア選手たちがあふれている。
「今なら野球を続けたくても続ける場所がない子たちを救えるんじゃないかと。僕は八王子学園八王子高校から東京経済大学に進み、野球を続けてきました。ずっと補欠。でも野球を続けてきたことによって、自分が企業の代表となっても“野球”というカードが人とのつながりを生み、コミュニケーションを育み、経営者としても助けられています。大学から就職した先は地元の信用金庫。法人融資の営業を続けているときに社会人の企業チームがどんどんなくなっていく状況を見て、いつかチームを作り、一度、野球を断念しかけた選手たちを救える場所づくりを思い描いてきました」
去年の夏前に動き始め、秋には日本野球連盟(JABA)に社会人野球チームとしての登録申請の手続き準備を行い、現在、東京都での準加盟登録を待ち、来年に本加盟を目指す予定だ。
築山氏が代表を務めるNbuy(エヌバイ)に入団する選手は(株)日本晴れに全選手が社員として入社し、企業人として勤務を続けながら都市対抗を目指す。給与のボーナス制度の充実や、住宅手当、保険制度など選手を受け入れる準備を整え、今秋には総工費3億円をかけて東京都にある拝島駅近くの150坪の土地に室内練習場とフィットネスジムを建設中である。
「建設の現場に行く選手もいれば、室内練習場で日中、スポーツ教室などを行う地域振興の指導者としての業務を担う子もいます。またフィットネスジムのトレーナーとして、スポーツ振興の業務を担う子もいます。とにかく地元に愛されるチーム、選手たちでいてほしいんです」
150キロを視界に入れる2人の注目投手
去年12月に2度のトライアウトを行い20名以上の選手の入社が決まった。その中には高校、大学卒業選手だけではなく、元プロ野球選手、元BCリーグ選手も名を連ねた。
「僕の場合はホークスを引退してから4年が経ちました。プロの世界を離れるときに、いくつか社会人野球チームからお誘いをいただきました。ただ、そのときは野球ではなく気持ちが働くこと、企業人になることに向いていました。肩も腱板の部分断裂という状況。やはり働こうと。一度、企業に就職しましたが、気持ちは揺れ動き続け、どこかで野球に携わりたいとBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスの投手コーチとして2年間、選手を育ててきました」
こう語るのは
福岡ソフトバンクホークスから2008年のドラフトで1位指名され、大きな注目を浴び入団した
巽真悟だ。この2年間はプロ野球界からやって来た投手、またプロ野球界を目指す投手を指導し、現役選手としての肩書きはなく指導者としての生活を続けてきた。
「会社員を2年、投手コーチを2年。マウンドからは離れていましたが、適度に現役の選手と定期的に肩を動かしていたんです。それが良かったんでしょうね。また投げられる状態に戻ってきたんです。指導しながらも、また現役選手としてマウンドに立ちたいという思いが出てきたときに築山さんと出会い、築山さんの熱い思いに触れて、もう一度、トレーニングに励み、トライアウトを受けて現役復帰しようと決断しました」
そのトライアウトでの球速は何と140キロを超え、カットボール、スライダーも抜群のキレを見せ、参加選手の中では輝きを放っていた。ホークスで投げていた姿が再び戻ってきた……そんなふうにも見て取れた。プロの世界で戦力外となり、肩を痛め、一度野球から離れた選手がまた野球界に帰ってくることになる。
そして、もう一人、この新チームには注目の選手がいる。昨季、BCリーグで12勝1敗、防御率2.76と抜群の成績を残し、最多勝に輝いた投手が入社する。去年、栃木でエースとして活躍した比嘉大智だ。
「僕の年齢は26歳。BCリーグでプロを目指すには先を考えなければいけない年齢に入りました。若い投手たち、実力ある投手たちが続々と入ってくる場所。BCリーグではなくて、レベルの高い社会人野球でプロを目指す可能性を探ろうと思っていました。ただ、コロナによって入部テストなどがなくなり、プレーする場所に悩んでしました。そのときにNbuyのトライアウトを知り、受けることにしました」
ストレートの最速は145キロ。独特のカーブに加えて、カットボール、スライダー、チェンジアップ、ツーシームも操る総合力の高い投手。トライアウトでの評価も抜群に高いものがあった。
「僕は沖縄の宮古高校という離島のチームでエースでした。でも1回戦負け。大学、社会人のクラブチームと野球を続けましたがエースではありませんでした。けれど、栃木に行って遅咲きですが結果を残すことができました。体が小さいながら、打たせて取れる、まとまりのある投手を目指しました。でも“そのまとまっている”部分がプロの世界に一歩届かないというジレンマがありました。より強いボールを投げることができれば、150キロ台に球速が乗ってくればプロの世界も可能性は出てくると思うんです。巽さんも今年の秋にはまた150キロ台のボールを取り戻すと言っていますし、僕も負けずに強く、速いボールを目指します」
Nbuyにやってきた2人の投手。いずれも今年中に150キロを目指せる投手であり、大きな楽しみになっていると築山代表は言う。巽はチーム運営の仕事に従事しながら勤務し、比嘉は建設現場で働きながら自らが掲げる目標に挑むことになる。
スローガンは“Unlimit Yourself!”
「私たちのチームのスローガンは“Unlimit Yourself!”。限界はない、可能性は無限大である、自分に挑戦するという意味があります。一度、野球から離れても、野球をやる場所がなくなっても、限界に挑戦しようという子たちを助けられる場所でありたいんです。都市対抗……何年後でしょうか(笑)。簡単ではないことは分かっています。でも、3年後の東京ドームを目指して挑戦するつもりです」
築山氏もまた1980年生まれの松坂世代。98年夏の甲子園を、テレビにかじりついて見ていたという。学生時代はレギュラーではなかった。松坂世代のど真ん中にいた人間でもない。けれど、時が経ち、ビジネスマンとして結果を残し、今、選手をサポートする形で野球界に携わり始めている。立派な野球人であり、立派な1980年世代である。
「王道を歩んできていない選手が、苦労してもあきらめず、また努力して、そして一流になって球界で活躍している姿を見たいんです」と話す築山代表。この春からチームの中心としてプレーする巽も比嘉もまさに苦労してきた選手だ。
新たに生まれる社会人野球チームNbuyが一体どんなストーリーを描きながら東京ドームにたどり着くのか。社会人野球界に新たな風を吹き込み、旋風を巻き起こしてほしい。
文=田中大貴 写真=BBM