3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 アスプロモンテの現役復帰はあるのか?

大洋・ボイヤー
今回は『1972年9月4日号』。定価は120円。
シーズン途中、インディアンスのGMの紹介で
広島の臨時コーチとなり、三塁コーチにも立っていたボブ・
アスプロモンテ。
中日でプレーしたケン・アスプロモンテの弟だった。
同時期、MLBで1256安打を放っていた
ベルサイエスがカープでは日系人以外で初の外国人助っ人になったが、いきなり捻挫、さらに腰痛もあってさっぱりとあって、肩痛で引退したアスプロモンテの現役復帰話もあった。
本人も、
「私の肩がダメなように伝えられているが、テニスで痛めた軽いもの。自分ではプレーできる自信がある」
と語り、試合前の打撃練習に参加し、快打を連発していた。
実はこのアスプロモンテに刺激を受けていたのが、大洋のボイヤーだ。8月12日の広島戦に2ラン、翌日には3ラン、満塁弾を放った。これに後輩のシピンも、
「先輩はいいとこ見せようと思って張り切ってるね」
とニコニコ。アスプロモンテは、これがボイヤーと日本での初顔合わせだったが、もともとの付き合いは長い。
「ミスター・ボイヤーは実にいい人なんだ。僕をかばってくれた。プレーも素晴らしかったが、人情味があった」
とアスプロモンテ。実はアスプロモンテがブレーブスからメッツに放出された際、
「副会長(リチャーズ)や監督がバカだ。あんないいプレーヤーを追い出すなんて」
と批判したのがボイヤーだった。ここからブレーブス幹部とボイヤーの反目が生まれ、その後、ハーリスが監督になった際、「副会長はバカだ。監督にはエディー・マ
シューズが適任なんだ」とまた批判。これが自由契約のきっかけになったという。
すいません。きょうはアップが遅くなりました。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM