打率4割の可能性も

1986年、2年連続三冠王に輝いたバース
1985年に打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝き、
阪神を優勝に導いたバース。翌86年は一時4割をうかがう勢いでヒットを量産し、史上最高打率.389で2年連続三冠王に輝いた。
「例えば同点の終盤、走者が二塁なら単打でいい。そのとき相手投手が何を考えているかを読む。まず内角は投げてこない。外角、それもぎりぎりのところへくるはずだ。引っ張ったのでは相手の思うつぼ。だから、レフトを狙って打つ。しかもバットに当てるだけじゃなくて、強く振って」
86年の開幕前、バースのインタビューでの言葉だ。バースが単なるパワーヒッターではなく、打撃について深く“考える”タイプであることが分かる。
前年もそうだったが、この年もスロースタートになった。打撃は悪くなかったが、なかなかホームランが出ず、腰痛やカゼでの欠場もあった。1号目は4月19日の
中日戦(ナゴヤ)。10試合目、41打席目での一発だったが、その後もホームランは伸びず。4月22日には
掛布雅之の離脱で四番に入るも屈辱の4三振。直後、トスを上げるマシンを買い、自宅で連日、打ち込みをした。
5月22日の時点では打率.318(リーグ6位)も本塁打4(同20位)、打点19(同13位)だったが、以後急激に調子を上げ、31日に打率、6月1日に打点で、いずれもリーグトップ。ホームランも次第に増え、6月18日から7試合連続(日本タイ記録)で22本まで伸ばし、打撃3部門でトップに立った(6試合目に単独トップに)。
7試合連続弾の相手は、現役時代に自らも達成した
王貞治が指揮官の
巨人だった。5対5の8回二死無走者で打席に入ったバースは、
江川卓が投じた渾身の内角ストレートをライト場外に運んだ。
「江川が堂々と勝負してくれたことがうれしかった。力と力、技と技の戦いを展開し、打てたので最高。思わず“グレート!”と叫んだが、あれは江川に対してだった」
前年、王の日本記録55本塁打(当時)に迫った際、巨人の投手は四球で記録達成を防ごうとしたが、江川だけは真っ向勝負を変えなかった。
6月18日から13試合連続打点の新記録をつくるなど、さらに加速。7月2日には打率4割に到達し、そのまま69試合目までキープした。球宴後、熾烈になったのは本塁打王争い。8月5日時点で巨人・
原辰徳31号、バース28号だったが、原が守備中に左手首を痛め、さらに骨折で離脱となり、独走態勢となった。
4割の可能性もあったが、最終的には打率.389、47本塁打、109打点。唯一危なかったのが打点で、大洋・
ポンセに4差だった。
写真=BBM