広岡監督が打ち出した“管理野球”
1982年、前後期制だったパ・リーグでプレーオフを制し、その勢いのまま日本一に輝いた西武。チームが西鉄、本拠地が九州は福岡だった時代から続いていた長い低迷を抜け出し、西武として生まれ変わって初のリーグ優勝、そして日本一だった。祝勝会では、もちろん盛大なるビールかけ。これが他のチームなら、どれほどのビールがナインのシャワーに費やされたかに思いを馳せることもないだろう。このビール、シーズン中はナインにとって、喉ごしを楽しむどころか、喉から手が出るほど欲しいものだった。
就任1年目の広岡達朗監督が打ち出したのは“管理野球”。78年に
ヤクルトを初のリーグ優勝、日本一へと導いたときと同じ手法で、厳しい練習だけでなく、選手たちの食生活も徹底的に“管理”した。玄米や豆乳など、いわゆる自然食は広岡“管理野球”における陰の代名詞。禁煙はもちろん、禁酒も選手たちには要求された。自宅なら首脳陣の目は届かないが、そうはいかないのがキャンプ。ましてや投手陣は
東尾修、打線は
田淵幸一と、チームの主力を構成している歴戦のベテランたちは大らかな野球で育ってきた男たちだ。キャンプでビールを飲めないのは苦行に等しい。ナインは一計を案じた。まず、お茶を入れる大きなヤカンにビールを入れ、それを湯のみ茶碗に注ぐ。泡さえ立てなければ色は似ている。一気に飲んではいけない。お茶で口を湿らすように、ちびちびとビールを飲むのだ。
単にビールが飲みたいだけでなく、反発もあったのかもしれない。禁止されるとやりたくなるのも人情だ。ビール大作戦(?)に成功した西武ナインだが、ほとんどの男たちは、ビールの味は知っていても、まだ優勝の味を知らなかったのも事実だった。広岡監督とナインは衝突を繰り返しながらも、いつしか足並みをそろえ、同じ目標に向かっていき、そして到達する。喉を通らずとも、祝勝会で味わった“美酒”は格別だったはずだ。
最近は“管理”されずとも、なにかと禁止されているのに似た“自粛”が続き、自己管理が求められる。近い未来に当時の西武のような栄光があると信じ、当時のナイン同様、自宅でビールをヤカンに入れて飲んでみるのも悪くないかもしれない。
文=犬企画マンホール 写真=BBM