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プロ野球回顧録

「三振か、ホームランか」豪快な打撃で人気を博したハマの“オバQ”大洋・田代富雄【プロ野球回顧録】

 

80年に自己最多36本塁打


豪快なフルスイングでファンを魅了した田代


 1977年、開幕から5試合連続で豪快なホームランを連発した田代富雄。彗星のように現れた大洋の大砲だ。ついたあだ名が「オバQ」。打球が、オバケのように高く、遠くへ飛んでいくからとか、あのキャラクターに顔が似ているからなど諸説あるが、本人は「僕もホントのところは知らないですよ。いつも、ぼうっとしているからじゃないですか」と首をかしげる。

 藤沢商高から73年大洋に入り、入団発表では同じサードの大先輩、「巨人の長嶋(茂雄)さんのような選手を目指します」と抱負を語った。背番号は天秤棒打法の近藤和彦が着けていた「26」だった。

 最初の3年は二軍。75年にイースタンで首位打者、打点王を獲得し、期待されての76年一軍昇格だったが、235打数で56三振。「人間扇風機」と酷評された。

 77年は4月に11本塁打で月間MVP、5月25日に16号ホームランを打った時点ではセ・リーグの“三冠王”だった。最終的には当時の大洋の球団最多記録となる35本塁打をマークしたが、三振はリーグ最多の118。「三振か、ホームランか」を地で行く、危なっかしさと愛嬌のある風貌で、人気者となった。

 79年は不思議な年だった。オープン戦まで絶不調だったのに4月7日の開幕戦(ヤクルト戦)で、松岡弘から3打席連続ホームラン。しかしその後、セカンドのミヤーンの控えだった基満男が打撃好調でサードに入り、田代は外野や一塁に回ることが増え、最終的には規定打席に届かず、19本塁打で終わった。

 この悔しさを胸に挑んだ80年は自己最多の36本塁打。しかし最終的には、この数字を引退まで抜くことができなかった。ただ、本人は「自分でホームラン打者とは一度も思わなかった。もっと40本とか50本とか打つ人のことですからね」と語っている。

 86年の守備中に左手首を骨折し、以後低迷。91年に引退したが、引退試合となった10月10日の阪神戦(横浜)では葛西稔から満塁ホームランを放っている。

「最後だから無様なバッティングだけはしたくないなあと思って、それだけだったんですよ。それがホームラン。あとで思ったのは、19年間、本当に気を抜かず野球をやってきた。あれは野球の神様が最後に大きなプレゼントをくれたんだなって」

写真=BBM
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