3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 太平洋クラブが資金援助
今回は『1972年11月20日号』。定価は120円。
「おこがましいが、私が球団を引き受けた以上、パのお荷物に甘んじない、かつての王国の再建を目指します」
10月28日の会見で、中村長芳“太平洋クラブライオンズ”新オーナーが力強く語った。
パ・リーグは球団経営の意思確認を10月31日締め切りで西鉄に求めていたが、すでに西鉄に球団経営の意思はなく、このままでは連盟預かりという形になるはずだった。
東映の大川オーナーも1リーグなら経営存続、2リーグのままなら身売りしたいと言っていた。4球団では間違いなくリーグ経営が成り立たない。
さらなる合併による1リーグは避けられない、と思われた。
窮地を救ったのが、中村オーナー。球界の救世主と呼ぶ声もあった。
「私がライオンズを買ったのは私の意地です。私も九州に来る以上、相当な覚悟をしてきました」
西鉄の買収費はわずか2億だった(九州に留まるという条件はあった)。その資金援助をした太平洋クラブの小宮山社長は、
「私は資金のバックアップをするだけですよ。経営はあくまで中村さんがやられる」
と話していた。
太平洋クラブは関東一円にゴルフ場を中心にレジャー施設の設置を手掛け、賞金1億円のマスターズゴルフトーナメントを開催したことでも話題になっていた。
中村オーナーは同社の専務理事、中村が長く秘書を務めた岸元首相は代表を務めている。
実際、すぐさま補強に動き、ビュ
フォード(オリオールズ)、
ラフィーバー(ドジャース)の獲得が濃厚と言われた。
中村オーナーの夢が政界進出であることは周知の事実。
ロッテのオーナーになりたてのころは「プロ野球なんか」と何度も言ってひんしゅくを買った。
よく分からないのは、なし崩し的とは言え、中村オーナーが提唱していた1リーグ制に近づいていたとも言える。それをなぜ中村オーナー自らがリスクを負いながら食い止めたのか。
そのうち何か記事があればあらためて。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM