“スーパーカー・クインテット”も

大洋・ローマン(左)は“ルイージ”、ポンセは“マリオ”の異名が
プロ野球の歴史を彩ってきた助っ人たち。彼らの多くはニックネームで呼ばれたが、その異名は時代、特に当時の娯楽を反映したものが目立つ気がする。
1980年代に少年期を過ごした人にとって「ファミコン」という言葉の説明は不要だろう。当時、一世を風靡したゲームのキャラクター「マリオ」は最近のゲームでも健在らしく、詳しい若い人も少なくないだろう。画質の関係なのか、登場した当時のマリオは目と口ヒゲが際だっていたのだが、その“マリオ”が異名となったのが大洋(現在の
DeNA)のポンセだった。トレードマークは口ヒゲ。来日2年目の87年から2年連続で打点王、翌88年には本塁打王にも輝き、低迷する大洋を明るく照らした陽気な助っ人だった。
一方、キャラクターのマリオには兄弟に「ルイージ」がいて、やはり口ヒゲの目立つキャラクターだった。マリオと同様、近年も健在なのかもしれない。このルイージがマリオの陰に隠れた存在だったように、ポンセが入団した86年の大洋で、その陰に隠れてしまったのがローマン。ポンセと同様、口ヒゲをたくわえていて、同じブリュワーズからの入団だったから、自然と(?)異名は“ルイージ”に。敬虔なクリスチャンという印象のためか、打席で祈っているように見えた左打者のローマンは、右打者で豪快な印象もあったポンセとは、よく似ているようで、どこか対照的な存在だった。
ただ、当初は“ルイージ”が主役で“マリオ”が脇役。ポンセより1000万円ほど高い年俸でローマンが先に契約し、四番打者として期待されていたのもローマンだった。実際、開幕は四番がローマンで、続く五番がポンセ。だが、ポンセが絶好調で、すぐに打順が入れ替わった。これでポンセとローマンの関係性がマリオとルイージに酷似していく。そして翌87年、大洋が
レスカーノを獲得、ファーム行きを拒否したローマンはシーズン途中に退団した。ちなみに、86年は
高木豊、
加藤博一、
屋鋪要の“スーパーカー・トリオ”も健在。ローマンもポンセも足が速く、短期間だったが、5人で“スーパーカー・クインテット”と呼ばれたこともあった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM