3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 37歳の野球をやってみたい
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72年、貴ノ花は輪島(右)と大関同時昇進を果たした
今回は『1973年1月1・8合併号』。定価は130円。
新春号らしく、1973年、37歳を迎える
巨人・
長嶋茂雄と大関に昇進したばかりの人気力士・貴ノ花の対談があった。
すべてを再録する余裕はないので、長嶋の興味深い発言をいくつかピックアップしてみよう。
長嶋は72年、球宴明けに調子を落とし、打率.266、27本塁打、92打点と不本意な成績に終わっていた。年齢も36歳、限界説がささやかれていた時期だ。
長嶋は不振の理由にオールスターで途中からコーチャーボックスに立ったことを挙げた。疲労も考え、試合途中から交代し、立ったものだった。
「四月、五月と進んで、あの一番いやな入梅をなんとか無事に切り抜けて、オールスターで一呼吸つく。それが今までにやり方だったんですが、一呼吸の付き方が、いまから思うとマイナスになった気がしますね。
これから折り返すというとき、エンジンのかかったものがあそこで出なかったのは、僕はどうもあの慣れないところに立ったことが、同じ一息つくにしても、ハァーッとつき過ぎちゃったと思うんですよ」
と話していた。
また、スター選手の美学として、
「大関でもわれわれ野球人でも、いちおうスターと言われる人たちには、それなりの試練だとか努力だとかいうものがあるわけでしょ。しかしその裏の動きみたいなものは表に出しちゃいけないんですよ。これは絶対出しちゃいけないです。ファンはそういう裏の、汗と泥の、あるいは涙のあれを求めているわけじゃないんだから」
選手が自ら情報発信する今とは真逆の、昭和のスターの美学と言えるだろう。
自らの年齢と向き合った言葉もある。前年までは「歳は取るものじゃない、食うものだ」のように、自分に年齢は関係ない、というものが多かったが、今回は違う。
「37歳の野球をやってみたいですよ。二十代と三十代と野球が違いますからね。野球そのものが生きていて、年々違いますし、やるほうも変わっていくでしょ。だから今年は1つ、何とか37歳の野球をやってみたいですね。それでなおかついい結果が出れば、もう言うことないです」
これに対し、貴ノ花が
「そういう結果を考えずにやれる境地になれたら、素晴らしいですね。それこそ達人の境地じゃないですか」
と返したのに対し、
「いやいや、そんなあれじゃないですよ。37歳ともなれば肉体的なハンディを非常に背負いますからね。思い切ってやることが20何歳の若い人たちに対抗できる一つの道だと思うんです。とにかく肉体以外の技術とかキャリアからくる自信とかいう、いろいろなもので対抗していかなくちゃ、もう若さと勢いには勝てないですよ」
「いろいろなことを総動員して補っていかないことには、押し流されちゃいますよ。だからわれわれ、きれいごとなんて言っていられないんです。考えてみれば、きれいごとなんてそんなの、お子様ランチですよ(笑)」
最後はマジメ過ぎたと思ってのジョークか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM