3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を進行中。いろいろあってしばらく休載しましたが、今後は時々掲載します。 太平洋が金田正一監督発言を連盟に提訴
今回は『1973年5月28日号』。定価は100円。
1973年、
ロッテ戦だけでなく、太平洋クラブライオンズの本拠地、平和台は常に熱くなる。
日拓戦(日付はなかったが、おそらく5月6日)がそうだったようだ。日拓の渡辺秀武が1打席目からビュフォードの内角に厳しく攻め、結果四球。
「メリー、ビュフォードさんを殺す気かい」「尋常に勝負せんかい」
当然、ヤジで騒然となる。
2打席目も初球が高めの顔面近くへ。
渡辺はメリーちゃんとも言われる優しい男だったが、アンダースローもあって内角はえげつなく攻めた。
ただ、ここまでは平然とした顔をしていたビュフォードが続く2球目が左足のヒザあたりに来たことで顔色がすっと変わった。ビュフォードは左ヒザに古傷があり、ある意味、それでメジャーを断念したようなものだった。
続く球、渡辺も遠慮があったかスローカーブ。するとビュフォードはスイングしながら手を離し、バットは渡辺の足元に。このときも結局、四球で渡辺は降板。
試合後、ビュフォードはこの件についてノーコメント。渡辺は、
「ひどいよ、完全に意識してバットを投げてきたよ」
と話していた。
太平洋と言えば、ロッテとの
金田正一監督との騒動が激化していた。
5月7日、パ会長は連盟事務所にロッテの石原代表を呼び、
「太平洋球団を刺激するような言葉を言わさないように」
と注意があった。
問題となったのは3日、川崎球場での試合で、太平洋ファンが暴動寸前となったとき、金田監督は
稲尾和久監督に一緒になだめようと言ったが、稲尾監督が拒否。この際、金田監督が
「乞食野郎、田舎監督」
とののしったことに対してだった。
太平洋は8日、連盟に抗議文を送ったが、稲尾監督は、
「カネさんもつい口が滑ったんだろう。子どもじみたケンカはしたくないが」
とも言っていた。
実際、稲尾監督の自宅には太平洋(修正)ファンからの電話が相次ぎ、
「今度、ロッテが平和台に来たときは仕返しをしてやるから我慢しておくんだぞ」
という物騒なものも多かったという。
では、また。
<次回に続く>