1年目は尾花に「くっついて」いた荒木

プロ初勝利を挙げた荒木(右)と4イニングを投げセーブを挙げた尾花
ドラフト1位で1983年に
ヤクルトへ入団した
荒木大輔の人気は尋常ではなかった。甲子園での人気はアイドル以上のものがあった荒木。近年も甲子園の活躍でプロ入り前から人気を集め、一挙手一投足が注目される選手は散見されるが、当時の荒木とは比べるべくもない。殺到するファンから荒木を避難させる(?)べく、ヤクルトのクラブハウスから本拠地の神宮球場まで秘密の地下通路、通称“荒木トンネル”が作られた逸話も残る。
荒木は当時では異例の“予告先発”で迎えた5月19日の
阪神戦(神宮)でプロ初先発。シーズン最多となる4万7000人もの観客が神宮に詰めかけた。荒木は5回を無失点で切り抜け、勝利投手の権利を手にする。この時点でヤクルトが1点リード。ここで荒木はマウンドを降りる。続く6回表からマウンドに立ったのが、82年に初の2ケタ12勝を挙げてエースに名乗りを上げたばかりの
尾花高夫だった。
のちに荒木は自身のプロ1年目を「尾花さんがいらしたので、尾花さんにくっついて、面倒を見てもらい、いろいろ見たり聞いたりしながら、自分なりに盗んでいました」と振り返っている。このとき尾花はプロ6年目。26歳となるシーズンで、荒木より7歳の年長だ。プロ初先発で経験したことのない緊張を味わった荒木だが、尾花もまた「かつて経験したことがない緊張感の中で」マウンドに上がった、と語っている。
慕ってきている後輩のプロ初勝利を消したくない、という思いもあっただろうが、その後輩がアイドル級の人気者なのだ。もし尾花が打たれたら、荒木にファンレターを送っていたファンが、一転して尾花に刃を送りつけてくるかもしれない。最近ならネットで誹謗やら中傷やらの言葉の刃が乱れ飛ぶ程度で済むかもしれないが、当時は実際にカミソリを送りつけられるようなことも少なくなかった時代だ。通常のリリーフ登板とは事情が違ったことは想像に難くない。とはいえ、ある意味では、これもエースの仕事だっただろう。
その後、ヤクルト打線は1点を追加。尾花は最後まで4イニングを投げて1失点も、リードを守り切っている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM