今シーズンもレギュラーシーズン全日程が終了し、各個人タイトルが確定した。特に激戦だったのがセパ両リーグの打点王争いだ。共に1打点差での決着となり、セ・リーグは
ヤクルトの
村上宗隆、パ・リーグは
ロッテの
ブランドン・レアードがわずかの差でタイトルを逃すことになった。では、同じように「1打点差で打点王になれなかった選手」は過去何人いるのだろうか?
2度も三冠王を逃した西鉄の中西太
2リーグ制となった1950年から現在までのシーズン成績を基に、「1打点差で打点王になれなかった選手」が出たシーズンを以下にまとめてみた。
●1954年 パ・リーグ
1位
山内一弘(毎日)97打点
2位
ラリー・レインズ(阪急)96打点
●1955年 パ・リーグ
1位 山内一弘(毎日)99打点
2位
中西太(西鉄)98打点
●1958年 パ・リーグ
1位
葛城隆雄(毎日)85打点
2位 中西太(西鉄)84打点
●1968年 パ・リーグ
1位
ジョージ・アルトマン(東京)100打点
2位
野村克也(南海)99打点
●1978年 パ・リーグ
1位
ボビー・マルカーノ(阪急)94打点
2位
ボビー・ミッチェル(
日本ハム)93打点
●1986年 パ・リーグ
1位
落合博満(ロッテ)116打点
2位
秋山幸二(
西武)115打点
●1992年 パ・リーグ
1位
ブーマー・ウェルズ(ダイエー)97打点
2位
ラルフ・ブライアント(近鉄)96打点
2位
清原和博(西武)96打点
●2001年 パ・リーグ
1位
中村紀洋(近鉄)132打点
2位
タフィ・ローズ(近鉄)131打点
●2009年 セ・リーグ
1位
トニ・ブランコ(
中日)110打点
2位
森野将彦(中日)109打点
●2021年 セ・リーグ
1位 岡本和真(巨人)113打点
2位 村上宗隆(ヤクルト)112打点
●2021年 パ・リーグ
1位
島内宏明(
楽天)96打点
2位 ブランドン・レアード(ロッテ)95打点

中西は2度、打点王を逃して三冠王に輝けなかった
1950年以降で1打点差でタイトルを逃した例は11度、計11人の選手があと一歩のところで悔しい思いをしている。特に悲劇の1打点差といえるのが、1955年、1958年と2度も1打点差で打点王を逃した西鉄の中西太だ。実はこの2シーズンの首位打者と本塁打王は中西。つまり、中西は打点王だけでなく、1打点差で三冠王を2度も逃していることになるのだ。
もし1955年に三冠王になっていれば、野村克也よりも先に戦後初の三冠王になっていたことになる。特に1958年は最終戦まで葛城と同数で並んでいたが、葛城が本塁打を放って単独でタイトルを獲得。中西は先に全日程を終了していたため、もはやどうすることもできなかった。
清原もあと一歩のところで初タイトルを逃している

“無冠の帝王”と呼ばれた清原。92年は惜しくも打点王を逃した
1992年のパ・リーグは、ダイエー移籍1年目のブーマーが打点王を獲得。ブライアントと清原は1打点及ばなかった。清原は球界トップレベルの強打を武器に西武、巨人などで活躍したが、結局最後まで打撃タイトルには縁がなかった。
また、チームメート同士で打点王を争った結果、1打点差で決着した例も2001年と2009年の2度起こった。2001年は中村が打点王、ローズが本塁打王と仲良くタイトルを分け合う形だったが、2009年の森野は無冠に終わっている。
今季は村上とレアードが「1打点差でタイトルを逃した選手」になったが、セパ両リーグで記録されるのはNPB史では初となる。村上は残り3試合の時点で、すでに全日程を終えている岡本と1打点差だったが、3試合で1打点も稼げず。一方のレアードは最終戦で1打点差に迫ったが、もう1本が出なかった。
今季を含め、「1打点差で打点王を逃した選手」は過去11度発生している。レアードは2016年の本塁打以来の打撃タイトル、村上は自身初の打点王と二冠王獲得にあと一歩届かなかった。惜しくもタイトルを逃した両者だが、果たして来季は逆襲のタイトル獲得となるのか、今から注目だ。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM