50年、85年は3人達成

ヤクルトの山田[左]、村上[右]は今季、ともに30本塁打、100打点超えを果たした
日本一になったヤクルトの
村上宗隆は39本塁打、112打点、
山田哲人も34本塁打、101打点とともに30本塁打と100打点をクリア。この条件を2人以上クリアしたのは26チーム目になる。そのうち3人だったのは、
1950年 松竹(優勝・137試合)
小鶴誠(51本、161点)、
岩本義行(39本、127点)、
大岡虎雄(34本、109点)
1985年
阪神(優勝・130試合)
バース(54本、134点)、
掛布雅之(40本、108点)、
岡田彰布(35本、101点)
の2チーム。松竹はセ・パ2リーグに分立した年だが、現在で言う「飛ぶボール」を使用した最後の年で、翌年からは本塁打などが激減した。小鶴の51本塁打は当時のプロ野球記録で、161打点はいまだに破られていない。2度目は現在でも語り継がれている1985年に阪神が21年ぶりにリーグ優勝を果たした年。甲子園の
巨人戦でのバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発など驚異的な打線だった。
最初に2人の「30本・100点」が誕生したのは1リーグ最後の年、1949年の阪神だった。
藤村富美男(46本、142点)、
別当薫(39本、126点)でこの年も飛ぶボールを使用していた。1940、50年代は2度しかなく1960年代は3度。これはいずれも巨人の
長嶋茂雄、
王貞治の「ON」コンビで1963、68、69年。1970年代も2度、1980年代も前述の阪神を合わせて2度。
広島の
山本浩二、
ライトルが1978、81年に2度記録した。1990年代は1度しかなかったが、2000年以降は一気に増えた。
2000年 ダイエー(優勝・135試合)
松中信彦(33本、106点)、
小久保裕紀(31本、105点)
2000年
日本ハム(3位・135試合)
小笠原道大(31本、102点)、
オバンドー(30本、101点)
2001年 近鉄(優勝・135試合)
ローズ(55本、131点)、
中村紀洋(46本、132点)
2001年 ダイエー(2位・135試合)※2年連続同一選手
小久保裕紀(44本、123点)、松中信彦(36本、122点)
2002年 近鉄(2位・140試合)※2年連続同一選手
ローズ(46本、117点)、中村紀洋(42本、115点)
2003年 ダイエー(優勝・140試合)
城島健司(34本、119点)、松中信彦(30本、123点)
2004年 ヤクルト(2位・138試合)
岩村明憲(44本、103点)、
ラミレス(31本、110点)
2004年 横浜(6位・138試合)
T.ウッズ(45本、103点)、
多村仁(40本、100点)
2004年 ダイエー(2位・133試合)
松中信彦(44本、120点)、ズレータ(37本、100点)
2005年 ヤクルト(4位・146試合)※2年連続同一選手
ラミレス(32本、104点)、岩村明憲(30本、102点)
2006年
中日(優勝・146試合)
T.ウッズ(47本、144点)、
福留孝介(31本、104点)
2008年
オリックス(2位・144試合)
ローズ(40本、118点)、
カブレラ(36本、104点)
2009年 巨人(優勝・144試合)
小笠原道大(31本、107点)、ラミレス(31本、103点)
2018年
西武(優勝・143試合)
山川穂高(47本、124点)、
浅村栄斗(32本、127点)
2019年 西武(優勝・143試合)※2年連続
山川穂高(43本、120点)、
中村剛也(30本、123点)
昨年まで15度で、それも2000年代に多く集中している。飛ぶボールだったこともあるのだろう。2011年に低反発統一球を使用してからは出現しなくなった。それでも「山賊打線」と呼ばれパ・リーグを連覇した西武は2018年から2年連続達成した。連続で本塁打王を獲った山川と最初は浅村、翌年は中村と違う選手でのコンビ。それだけ多く長距離砲をそろえていた。
2人が打てば勝率6割超え
今回のヤクルトは統一球以後、セ・リーグでは初の達成。ヤクルトの勝率は.584だが、両者が本塁打を打った試合と打点を挙げた試合の勝敗は、
本塁打 打点
村上 21勝 9敗6分け 勝率.700 42勝16敗9分け 勝率.724
山田 18勝12敗1分け 勝率.600 34勝19敗2分け 勝率.642
両者 5勝 3敗 勝率.625 14勝 8敗1分け 勝率.636
となり、すべて勝率は6割を超えた。
2000年以降の16度の中で優勝したのは8チーム。2位が5チーム、3位が1チーム。2004年の横浜が最下位で、2005年のヤクルトは4位だったが、14チームがAクラスで半分が優勝していた。
文=永山智浩 写真=BBM