明らかに生じていた異変

今季は安定したピッチングができず苦しんだ菅野
巨人・
菅野智之にとって今季は試練の年になった。故障やコンディション不良の影響に苦しみ、4度の登録抹消を経験。内定していた東京五輪も出場辞退した。自己最少の19試合の登板にとどまり6勝7敗、防御率3.19。今オフの契約更改ではプロ入り10度目で初の減俸となる2億円ダウンの推定年俸6億円でサインした。
昨年は開幕13連勝を含む14勝2敗、防御率1.97。3度目の最多勝、初の最高勝率(.875)、2度目のリーグMVPを受賞。オフはポスティングシステムでメジャー挑戦を決意したが一転、残留した。今年も当然ながら絶対的エースとして期待されたが、春先から調子が上がらない。投球フォームに本来の躍動感が見られず、ファウルや空振りを奪う直球がいとも簡単にはじき返された。精密機械と呼ばれた制球力にも狂いが生じ、変化球が浮く。試合中盤に球速が10キロ近く落ちるなど明らかに異変が生じていた。
菅野は9月に週刊ベースボールのコラムで当時の状況を振り返っている。
「ここまで4度の抹消があるのですが、正直にお話しすると、特に6、7月の時点では100%で腕を振れる状態ではありませんでした。それでも何とかチームの力になりたいという気持ち、そしてメンバーに選んでいただいていた東京オリンピックへの思いがありました。変調に至った原因としては、自分自身の問題ではあるものの、例年とは異なり、オフシーズンに十分な準備期間を取れなかったことが挙げられます。キャンプを過ごし、練習試合、オープン戦は計4試合無失点も、結果ばかりが先行して、感覚的には決して良くはありませんでした。プレートの位置も変更してみたり、『まだ時間が必要だな』と自覚していましたが、やはり、じわじわとボディーブローのように効いてきてしまいました」
ファームで調整中、必要なことは体の状態を上げる事だけではなかったという。
「7月2日に登録抹消、オリンピックも辞退し、結果的に復帰まで約2カ月を要することになるのですが、まずは気持ちの整理から始めます。もちろん悔しさはありました。それ以上に、ホッとした自分もいたんです。もう無理しなくていいんだと。不幸中の幸いと言いますか、オリンピックが開催される関係で、ペナントレースの中断期間があり、シーズン中に休む罪悪感が少し薄れた部分もあります。その後は意識して前を向こうとしたわけではなく、シーズンオフと一緒で、やらなければいけない時期が来たら自然と気持ちは前に進みますし、スイッチが入って、『やらなければいけない状況になった』という感じでした。そうなれば、自然と課題が自分の中ではっきりしてくるもの。苦しいときももちろんありましたが、気持ちの整理は自分なりにしっかりしたつもりです。この期間、トレーナーさんも含めて多くの方が携わってくれました。本当に感謝しています」
メジャー挑戦の夢は封印

シーズン終盤は徐々に本来のピッチングを取り戻していった
勤続疲労による限界説もささやかれたが8月下旬に復帰以降は、菅野らしさを徐々に取り戻していく。月間成績を見ると、9月は5試合登板で3勝2敗、防御率3.21。10月は4試合登板で1勝0敗、防御率1.88。後半戦は10試合中7試合がクオリティー・スタート(6回以上、自責3以下)を達成と安定感が戻ってきた。
今オフはメジャー挑戦の夢は封印した。目指す目標はV奪回のみ。菅野の復活なくしては実現できない。
写真=BBM