クイズ番組の収録中に

86年オフ、自身を含む4人と落合のトレードでロッテに移籍した上川
1980年代のプロ野球で最強の打者は誰か。おそらく多くの人が
落合博満の名を挙げるだろう。プロ野球の歴史で最多となる3度の三冠王に輝いた落合だが、その3度とも80年代、それもロッテ時代に集中している。そんな落合がトレードを事実上“直訴”したのが、落合が2年連続3度目の三冠王に輝いたシーズン、86年オフのことだった。ロッテで落合の尊敬する
稲尾和久監督が突如、解任されたことで、落合は「稲尾さんがいないならロッテにいる意味がない」と発言。落合の周辺は、にわかに騒然とし始める。
一方、最近も賛否両論が沸き起こっているが、80年代は
巨人戦のテレビ中継が黄金時代を迎えていたこともあり、当時のシーズンオフはユニフォーム姿ではないプロ野球選手をテレビで見ることができる貴重な時期でもあった。
「クイズ番組の収録をしていたら電話がかかってきて、すぐ名古屋に来いって。これはトレードだって思いましたね。だいぶ前から落合さんの話は出ていましたが、巨人に決まりかけていたんで、まさか
中日、それも僕とは思わなかったですね」と振り返るのが
上川誠二だ。トレードは落合1人に対して、中日から4人。プロ6年目を終えて正二塁手の座を確保した上川は、その4人に含まれていた。
「名古屋で聞かされたときには、もう覚悟はできていました」という上川だが、単にチームを移籍するだけではない問題があったという。「名古屋に土地を買っていたんですよ、契約金と借金で」(上川)。当時のロッテは川崎が本拠地で、「(首都圏で)家を借りようとしたら、ずっと名古屋より狭いのに家賃が倍。子供も生まれるし……」(同)。時代はバブル。地価が高騰していたのだ。
だが、これが逆に、上川を救う。「(名古屋で買っていた土地の)値段が倍くらいになって、助かりました(笑)。じゃあ、(家を首都圏に)買っちゃおうとなって(名古屋の)土地を売ったお金を頭金にしました」(同)。上川はロッテで「落合の1/4!」とヤジられることもあったものの、ロッテのファンは「あたたかかったですよ」と振り返っている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM