「プロは体の大きさじゃない」

通算2173安打を放った“ミスター・スワローズ”若松
近年はドーム球場の存在もあって雪の日でもプロ野球の試合を開催することは不可能ではないが、まだ球場の屋根など存在しなかった時代、雨の中で戦うことは少なくなかった一方、雪の中で試合をしたという話は寡聞にして知らない。春のキャンプはともかく、プロ野球にとって雪は、ほとんど無縁の存在といっていいかもしれない。だが、この雪をオフの自主トレに利用した“猛者”がいた。
ヤクルトひと筋19年、通算2173安打を残した
若松勉だ。その通算打率.319は、4000打数を上回る日本人の選手として長く頂点に君臨していた数字。2年目の1972年から背負った「1」は、その後は“ミスター・スワローズ”の勲章として継承されている。
交渉は身長168センチだったが、実際には166センチしかなかったという若松。のちに“小さな大打者”の異名を取ることになるのだが、プロ野球選手としては当時としても小さな体だ。社会人で結果を残した若松はドラフト3位でヤクルトから指名されたとき、体が小さかったことでプロ入りをためらい、スカウトとも会わずにいたという。そんな若松の気持ちを前向きにさせたのは、やはり小さな体で豪打を連発、のちにヤクルトで打撃の師匠となる
中西太コーチの「プロは体の大きさじゃありません。バッティングは下半身でするものです」という言葉を人づてに聞かされたことだった。

自主トレでスキーを取り入れた若松
当時は北海道の出身で、プロ野球で大成した選手が数えるほどしかいなかったことも若松をためらわせたのだが、北海道の厳しい環境が若松を鍛えていたのだ。野球だけでなく、中学まではノルディックスキーの選手でもあった若松。この過酷なスポーツは、確かに小さかった若松の体、特に下半身を強靭なものにして、そこに若松も自信を持っていたという。
ヤクルトで1年目から活躍した若松は、ノルディックスキーを自主トレで活用。これが安打の量産だけでなく、長い現役生活を送る体を作った“小さな秘密”だったのかもしれない。とはいえ、誰もが簡単にマネできる類の自主トレではないのも事実。中学までの経験があったからこそのものだったことも間違いないはずだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM