ラジコン飛行機を抱えて来日

ロッテで11年間、プレーしたリー
入団1年目の選手が実戦で通用するかをキャンプの状態で見極めるというのは至難の業なのかもしれない。これは助っ人も同様で、いくらメジャーの実績があろうと、日本のプロ野球に順応できずに終わるケースも少なくない。キャンプで最悪に近い評価を受けながら、1年目から早々に最善といえる結果を残した助っ人の筆頭はロッテの
レロン・リーだろう。
1977年に入団して、キャンプにも参加したが、スポーツ紙にはリーの打撃練習を見た評論家たちの「パワーがなく、期待できない」などの言葉が踊るなど、その評価は散々。助っ人にはパワーが至上のものとして求められていた時代でもある。ただ、評論家たちが色眼鏡で見てしまうほど不安にさせる要素も確かにあった。来日して空港の搭乗口に現れたリーが抱えていたのは、大きなラジコン飛行機。第一印象は大切なものだが、助っ人のトラブルも多かった時期でもあって、実力というよりも、やる気があるのかを疑われた面もあったのだろう。だがリーは、こうした評価を完璧に覆した。
4月を終えた時点で打撃3部門の成績は7本塁打、20打点、打率.324。5月に入ると打率.319まで下げたものの、13本塁打、31打点と爆発する。パ・リーグが前後期制となって4年目のシーズンだったが、ロッテは黄金時代に入っていた阪急(現在の
オリックス)と最後まで前期の覇権を争い、最終的には2位に終わったものの、阪急の
上田利治監督が「日本シリーズよりきつい」と苦笑するほどの善戦を見せた。

趣味はラジコンで、来日時に空港の搭乗口に抱えて登場した
その原動力のひとつは、間違いなくリーの打棒だった。後期は本塁打の量産ペースが落ちた分、終盤に安定感が急上昇。指名打者から外野での出場が増え、慣れた仕事場が打撃にも好影響を与え、閉幕まで残り1カ月の時点で打撃3部門トップ。打率.317はチームメートの
有藤道世に届かなかったが、34本塁打、109打点で本塁打王、打点王の打撃2冠に輝いた。ロッテも後期を制覇。もちろん、リーの貢献度は大きかった。
ちなみに、あるスポーツ紙は「リーさん、ごめんなさい」と紙面で謝罪。リーは通算11年で、通算打率.320を残している。
文=犬企画マンホール 写真=BBM