高橋建投手は2009年、40歳でメジャー・リーグデビューを果たした。桑田真澄投手の39歳を抜いて日本人選手では最年長。メジャーでも第二次大戦後ではニグロ・リーグで大活躍したサッチェル・ペイジ(1948年、インディアンス)の42歳、ドミニカ共和国出身のディオメス・オリボ(1960年、パイレーツ)の41歳に次ぐ年齢だった。 ブルージェイズ戦力外から

メッツ時代の高橋
広島をFAになり、2009年2月にブルージェイズとマイナー契約。メジャーを目指してスタートしたのだが、まずビザ取得に時間がかかり、十分な調整ができなかった。招待参加していたスプリングトレーニングで右ふくらはぎを痛め、マイナーに降格。3月末に戦力外となって解雇された。
だがすぐに、左のリリーフを必要としていたメッツとマイナー契約。3Aバファローで好投して昇格し、5月2日のフィリーズ戦でついにメジャーのマウンドを踏んだのだ。
先発のオリバー・ペレスが乱調。3回一死満塁で投手のジェイミー・モイヤーに押し出しの四球を与えて2対4となって、高橋に出番が回ってきた。一番のシェーン・ビクトリーノを投ゴロ併殺に仕留め、ピンチを切り抜けた。
4回はラウル・イバニェスに二塁打を許すが後続を断ち切る。5回は二死後に四球を出したがモイヤーを左飛に抑える。結局2回2/3を1安打、1四球、無失点。前年ワールド・シリーズを制したフィリーズの強力打線を封じ、華やかなスタートを切った。高橋は「40歳になってもこうやってできる姿が、皆さんにいいように映っていたらうれしい」と喜んだものだ。
6月21日のレイズ戦で15試合目の登板。この時点で0勝1敗、防御率3.00だったが、翌日バファローに降格。8月末に再昇格して13試合に登板した。結局28試合で0勝1敗、防御率2.96。シーズン終了後にはリリースされ、広島へ復帰することになった。
10年に広島で1年プレーして引退。広島で通算15年、メッツで1年プレーした現役生活に終止符を打った。その後は評論家を経て
阪神でファームのコーチ(22年からは広島一軍投手コーチ)。1年間とはいえアメリカで過ごした経験が、指導者としてプラスになっているはずだ。
『週刊ベースボール』2021年11月15日号(11月2日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images