トルネード投法で大旋風

遠投をする近鉄時代の野茂
1990年、新日鐵堺からドラフト1位で近鉄に入団した
野茂英雄。独特のトルネード投法から剛速球と魔球フォークを投じ、1年目に18勝をマーク。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率のタイトルを獲得し、新人王、ベストナインに選出。さらには優勝チームではなかったがMVP、前年からパ・リーグの投手も対象となった沢村賞のパ第1号にもなった。
野茂の大活躍は環境も大きく作用したからだろう。何より、当時の指揮官は個性を尊重する
仰木彬監督だった。8球団が競合したドラフトでクジを引き当てたときからソウル五輪で銀メダル獲得に貢献した逸材にして「アイツが勝ち取ったドラフト1位や。だから、そのフォームを崩すことはない」と明言。加えて「とことん“あいこ”にせい」と口にした。“あいこ”とは関西弁で“贔屓”という意味だ。
さらに、トルネード投法を見ても分かるが、先入観や固定観念を持たない男だった。だから、ウエート・トレーニングを取り入れ、立花龍司コンディショニングコーチの話もよく聞き、体のこともしっかり理解していた。立花コーチがそれを感じたのは遠投だったという。
「野茂は長い距離の遠投はしなかった。30メートル程度でボールを投げていたんです。技術や動作解析などが進むにつれ、のちにデータとしても出るのですが、角度をつけて遠距離を投じるよりも、距離は短くても、どれだけ地面と並行に速く強いボールを投げられるかが、実際のピッチングに生かされる。マウンドは傾斜です。なのに、上に向かって遠くにボールを投げ続けても、多くの効果は得られない。当時は、そんなことを言う人もいなければ、解析することもありませんでしたが、30年前の彼の調整法が正しかったことは今、立証されているんですよね」
ルーキーイヤーから4年連続でリーグ最多の投球回を投げて最多勝、最多奪三振を戴冠したが、立花コーチは成績を残し続ける野茂に「ホンマにお前はすごいな」と言った。そのとき、野茂は知人に頼んで名だたるメジャー・リーガーの好投シーンが編集されたビデオを見ていたという。そして、映像を目にしながら言葉を発した。
「この人たちに比べたら、僕なんて屁みたいなもんですよ」
常に見るのは“先”であり、“上”。だからこそ、95年にドジャース入り後、メジャーで旋風を巻き起こすことができた。
写真=BBM