負けん気に火がついて

三塁への盗塁で世界記録を達成して試合後、ロッカールームで乾杯した福本
福本豊にとって、プロ15年目の1983年シーズンは、記録ずくめとなった。何よりも注目を集めていたのが通算盗塁の世界記録。当時、世界一の通算記録を持っていたのは79年に引退したメジャー・リーグのルー・ブロック(カージナルス)の938個。前年までに福本が記録していたのは919個。19個の盗塁を記録すればタイ、20個で新記録となる。
開幕から順調に盗塁を重ねてきた福本に、その日は意外に早くやってきた。6月3日、
西武球場での西武戦。この日までに、937個まで通算盗塁数を伸ばしていた。世界タイ記録、そして新記録は目前だ。
西武の先発は
高橋直樹。1回表、先頭打者としてファウルで粘って13球目に四球を選んだ福本は、下手投げでモーションの大きい高橋からあっさり盗塁を成功させ、タイ記録に並んだ。
残るは新記録だけ。しかし、その日の試合は、9回に福本の打席を迎えたところで11対6と西武が大きくリード。福本にすれば、記録のために走っていると思われるのも嫌。できれば勝ちゲームで走りたいと、出塁はしたものの、そこでは盗塁を封印することを心の中では決めていた。
次打者・
弓岡敬二郎の二ゴロで二塁へ。投手は右腕の
森繁和。西武のショート・
石毛宏典に「今日は走らん」と声を掛けたが、その言葉を信じなかったのか、3年目でまだ若い石毛が生真面目に役割を果たそうとしたのか、執拗に何度もけん制に入ってくる。
ここで福本の負けん気に火がついた。執拗なけん制を挑発と感じた福本は、数分前までの決断を翻して、三塁に向けてスタートを切った。あっさりと成功したが、福本はのちに「やっぱり走らなければよかった。後悔している」と語っている。ともあれ、これでルー・ブロックの持つ記録を更新して“世界一”の座に就いた。
小細工に走らず堂々の2000安打

83年は9月に2000安打も達成した
この世界記録更新に対し、当時の中曽根康弘首相は国民栄誉賞を贈ろうとしたが、福本は固辞。さらに世界記録達成を記念して、特例による名球会への入会が認められたが、これも固辞する。
これには、ケガさえしなければ83年中に2000安打を達成できるという思いも理由としてあったはずだが、その思惑どおり、9月1日に地元・西宮球場で行われた
ロッテ戦で、
田村勲からセンター前にヒットを放ち、史上17人目となる2000安打を記録。名球会への入会を正式に果たした。
足の速い小兵選手にありがちな、俗に言う“当て逃げ”打法をよしとせず、しっかりとバットを振り抜いた。のちに南海の監督を務めた
ドン・ブレイザーから「あの脚力なら、もっとショートゴロを打てば首位打者になれるのに」と言われたが、潔さを求めて決してスタイルは変えなかった。
実働20年の現役生活で、本塁打が2ケタを記録した年が11シーズンもある。この打撃スタイルこそが福本の真骨頂と言える。
写真=BBM