絶頂期の激突ではないものの

84年の落合。翌85年から2年連続三冠王に
オールスターの奪三振ショー、1971年の第1戦(西宮)での
江夏豊(
阪神)による9連続と、84年の第3戦(ナゴヤ)における
江川卓(
巨人)の8連続を、それぞれクローズアップしている4回目。場面は84年、5回表に江川が打席に
落合博満(
ロッテ)を迎えた場面だ。
現在から振り返ると、快速球で“怪物”と騒がれた江川と、プロ野球で最多となる3度の三冠王に輝いた落合の対決は、江川の8連続奪三振における最大の見せ場に思えるかもしれない。ただ、この時点の落合は、三冠王は1度のみ(それだけでもすごいことだが……)、2年連続三冠王の快挙を迎える前であり、2度目の栄光に向けた雌伏の時期だったといえる。落合といえば四番打者という印象が残る現在の感覚では想像しづらいが、このとき落合はパ・リーグの六番打者だった。
一方の江川は、ペナントレースのキャリアハイは3年前の81年で、20勝、221奪三振、防御率2.29と、いずれも自己最高の数字だった。19勝を挙げた翌82年から右肩痛が始まり、じわじわと数字を落として、100球を超えた時点で突如として崩れる試合が増えて“100球肩”といわれるようになったのが、この84年のことだ。
ともに絶頂期の対決ではなかったとはいえ、両雄が時代の寵児だったことは間違いない。場面を江川と落合の対決に戻そう。江川は1人目の
福本豊(阪急。現在の
オリックス)を皮切りに、3人目の
ブーマー(阪急)、4人目の
栗橋茂(近鉄)とボールを先行させていたが、落合に対しても初球、2球目とボールを続ける。落合は3球目を見逃し、4球目を空振りで2ボール2ストライクとなった。そこから江川は渾身のストレート。空振り三振に倒れた落合は、「あれでどうして公式戦でポカスカ打たれるの」と、どこか落合らしいコメントを残している。確かに、「ポカスカ打たれる」イメージがあったのも、84年の江川だった。
落合を仕留めた江川は、これで5連続奪三振で、試合は5回表の二死。続くは七番の
石毛宏典(
西武)だ。前年の日本シリーズで対戦していた石毛に対しても江川はボールを先行させる。
<次回に続く>
文=犬企画マンホール 写真=BBM