グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。ライオンズを支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していく連載、今回はリハビリトレーナーを務める田中秀典氏を紹介しよう。 当たり前のことを当たり前に

西武でリハビリトレーナーを務める田中秀典氏[写真=球団提供]
きっかけは大好きな野球をプレーできなくなったことだった。小4からユニフォームにソデを通したが、肩を痛めて中学でリタイヤ。ただ、野球を忘れられない。高校に進学して将来像を頭に描いたとき、「プロ野球のトレーナーになりたい」という思いが浮かんだ。卒業後、鍼灸マッサージやアスレチックトレーナーの資格を取るために専門学校へ進んだ。
「専門学校を卒業して治療院で働いていたんですが、もっと自分に強みが欲しいと考えて、理学療法士の資格を取ろうと思って専門学校に入り直しました。理学療法士の勉強をすると、体の状態がどうなっているか頭の中で理論立てて治療ができるようになります。いろいろな知識を深めて、今度は整形外科で働き、そののちライオンズで公募があったので応募して球団で働くことになりました。
2020年1月からでしたが、最初は一軍のトレーナーに。最初は難しさを感じましたね。整形外科などでは患者はわれわれを頼りに病院に来ますが、プロは受け身ではなく、こちらから選手のほうへ行かないといけない。だから、まず信頼関係を築くのが大変でした。僕はそんなに口がうまいほうではないので、とにかく当たり前のことを当たり前にできるようにということは心掛けていました。できるだけ丁寧に選手の体に触れるようにして。そういった接し方で、自然と信頼関係が築けたのかなと思います。
トレーナーとして、選手の普段の練習での動きを注意深く観察することは大切です。選手の体に触れているときでも、体の変化を見逃さないようにしていますね。でも、やはりプロ野球選手は一般の人とは感覚が全然違います。自分自身の体の変化には過敏。特に一流選手ですね。例えば投手がワインドアップから片足立ちになるとき当然、足の感覚は大事になります。そこで加重がしっかりできるように体を調整してあげると、お尻の部分に力が入れやすくなったということもありました。そうやって、体の感覚を感じ取れる力はすごいですね」
若林を「強い体で一軍へ戻す」

現在は一軍でプレーする若林[写真=BBM]
2年目からはリハビリトレーナーに役職が変更。一軍トレーナーは選手の日々の体調管理がメーンの仕事になる。リハビリトレーナーはケガをした選手と向き合う。術後の患部の状態の管理や復帰に向けての道筋を立てていくことに力を注ぐ。リハビリトレーナーとして考えることは多い。
「リハビリトレーナーとして選手の視点に立って考えることも当然ベースとしてあります。選手は1日1日の勝負。だけど、投げたくても投げられないところからなんとか状況を好転させたい。焦る気持ちが出てくる選手の気持ちも分かりますが無理はさせられません。現在の状態を丁寧に説明して、『今の状態ならここまでしかできないよ』と言うことは大切になってきます。あとはもちろんトレーナーだけではなく、コーチなどからも選手と話し合ってもらって。いろいろなところから説明があったほうが、本人も納得すると思いますから。
昨年は開幕から好調だった1年目の若林(楽人)が5月下旬に左ヒザ前十字靱帯損傷の大ケガを負って、リハビリ組に回ってきました。門田(大祐)ヘッドリハビリトレーナーと意見交換をしながら、復帰への道筋を立てていきましたね。若林は体の線がシャープ。ただ、本人もリハビリの期間を利用して、体を強くしたいという希望がありました。今後、若林の野球人生は長く続いていくので、そのときにこのリハビリ期間があって良かったと思ってもらえるようにしたいと常に考えていましたね。
本人に強い気持ちはありましたが、どうしてもああいった大ケガだったので、感覚的にヒザがなじんでくるのは時間がかかります。気持ちに波もありましたが、一生懸命にリハビリに取り組んでくれたので、僕としても『強い体で一軍の舞台に戻してあげたい』という気持ちはすごくあり、とにかく全力でやらせてもらいました。
もともとトップレベルの足の速さを持つ選手で、パフォーマンスのレベルが高い。今は普通に走ることはできますが、パフォーマンスが上がり切らずに本人も悩んでいる部分はあると思います。そこはヒザがなじんでくるのを待つしかありません。
そういえば今年、一軍に復帰した際(5月31日
阪神戦=甲子園)、試合後に若林から電話をもらいました。『本当にありがとうございました』とお礼を言ってもらって。そういうふうに本人が思っていてくれたなんて……。そのときは本当にうれしかったですね」
プロ野球選手は個人事業主

選手の体を診る田中リハビリトレーナー[写真=球団提供]
実は幼いことからライオンズのファンだったという。熱心に見ていたときは野手では
松井稼頭央(現ヘッドコーチ)、投手では
松坂大輔が中心選手だった。トレーナーを志した際も、ライオンズのトレーナーになることが夢だった。それが叶い、昨年はあこがれだったレジェンドとも間近で接した。
「松坂さんはリハビリ組にいたので、すごく緊張しました。でも、すごく優しかったです(笑)。いろいろなケガの経験をされてきた方ですが、その中でも再びマウンドに上がるために必死に努力していた姿は忘れられません。引退試合はメットライフドーム(当時)の三塁側カメラ席で見ていました。練習のときでも指先の感覚がない中でキャッチボールをしていましたが、マウンドからボールを投じることができて、すごく感動しましたね。
今後も精いっぱい選手と向き合っていきたいです。僕としては『ヒジがこういう状態だから、こういったトレーニングをしようかな』というふうに選手自身が気付けるようになってもらいたいです。トレーナーとして頼られたいというよりは、『そう言えば田中さんはこう言っていたな』と選手に意識付けができるようなトレーナーでありたい。
結局、プロ野球選手は個人事業主なので、自分自身で考えられるようになってくれたほうが、僕としてはうれしいんです。なんでもかんでも、手間をかけて手助けしてあげるのも当然大事。でも、その中で選手自身が体のことを知って、知識などを増やしていってほしい。選手に気付きやヒントも与えられるトレーナーになっていきたいですね。
トレーナーとしての責任感もあります。選手の大事な体を預かっていますから。リハビリ、ケガ人の選手などいろいろな状態の選手がいますが、チームの戦力が落ちないように一日でも早く選手のパフォーマンスを上げて戦いの舞台に戻してあげたいです。それが結果的に勝利につながれば何より。そのためにも、これからも一生懸命に頑張っていきたいです」
文=小林光男