佐藤義則、星野伸之は北海道から

近鉄時代の太田
本州の最北端に位置する青森県と、そこから津軽海峡を隔てて、さらに北にある北海道。ともに甲子園では決勝戦で引き分け再試合を演じた。歴史は青森のほうが古い。1969年の夏、愛媛が誇る古豪の松山商高を延長18回、無失点で投げ抜いたのが三沢高の
太田幸司だ。三沢高は再試合で敗れたが、太田は甘いマスクもあってアイドル的な人気を集め、ドラフト1位で近鉄へ入団。当初は伸び悩んだが、4年目から先発に定着している。
ただ、投手タイトルはなし。青森のタイトルホルダー第1号は太田より古く、56年に大映(毎日と合併、現在の
ロッテに)で29勝を挙げた五戸高の
三浦方義だ。少し紛らわしいが、
西武で97年に最優秀中継ぎ投手となったのが七戸高の
橋本武広。一方、宮城の東北高を出た
葛西稔(
阪神)も青森の出身だ。旧制の青森商から戦前の41年に朝日(のち松竹、大洋と合併。現在の
DeNAに)で17勝を挙げた
福士勇ら、プロへの進出にも歴史がある。
21世紀に入り、駒大苫小牧高の
田中将大(
楽天)が夏の甲子園で力投を見せた決勝戦、引き分け再試合のあった北海道。メジャーでも活躍した田中は兵庫の出身だが、同じく現役には21世紀に北海道へ移転した
日本ハムでもセットアッパーとして活躍した北海高の
鍵谷陽平(
巨人)ら好投手も少なくない。
もちろん、過去にもズラリと並んでいる。日本ハムが移転する以前からパ・リーグで活躍した投手が多いのが特徴だ。
オリックス(阪急)では函館有斗高の
佐藤義則と旭川工高の
星野伸之がチームの優勝に貢献。ともに投手タイトルの経験者でもある。佐藤の後輩には投手タイトルはセ・リーグながら近鉄で脳腫瘍から復活して感動を呼んだ
盛田幸妃も。また、21世紀の西武には足寄高の
三井浩二、同じく
ソフトバンクには千葉の敬愛学園高を出た
五十嵐亮太がいた。
ただ、北海道の最多勝は彼らではない。旧制の旭川中からプロ野球“元年”の巨人へ入団、通算303勝を残したのが
スタルヒンだ。ロシアからの亡命で、生涯を通じて無国籍だったともいわれるが、スタルヒンは出身地を北海道としていた。
文=犬企画マンホール 写真=BBM