阪神には“神様”の系譜も

絶好の場面で結果を残して“代打の神様”と称された阪神・八木
ヤクルトの
村上宗隆が“村神様”とファンから崇められて(?)いる。現在はカブスでプレーしている
鈴木誠也が2016年に
広島の25年ぶりリーグ優勝が近づいたときに
緒方孝市監督から「神ってる」と評され、その年の流行語大賞に選ばれたことも記憶に新しい。最近は言葉も軽くなり、いとも簡単に選手が“神様”と呼ばれるようになった……というわけでもない。90年に近づきつつある長いプロ野球の歴史で、それなりに“神様”はいたのだ。
“神様”が多いのは阪神だ。代打の切り札は“神様”であり、その称号は当該の選手が引退すると、次なる決定的な切り札の選手に継承された。初代は1990年代の後半に“降臨”した
八木裕で、21世紀に
桧山進次郎、
関本賢太郎と代替わり。阪神は代打で絶大な人気を誇った
川藤幸三あたりから代打が“ブランド化”され、八木ら“神様”は川藤の後継者ともいえそうだ。
ただ、阪神には21年ぶりリーグ優勝、2リーグ制で初めての日本一に輝いた1985年の“猛虎フィーバー”でも“神様”がいた。三冠王の
ランディ・バースだ。「神様、仏様、バース様」と並び称されたのだが、これには先例がある。50年代の西鉄(現在の
西武)黄金時代に、「神様、仏様、稲尾様」と言われたのが
稲尾和久だ。“神様”では少数派の投手で、“鉄腕”の異名もあった稲尾。58年の
巨人との日本シリーズで西鉄が3連敗で追い込まれたとき、そこから4連投、時には自らサヨナラ本塁打を放って4連勝で3年連続の日本一を決めたあたりから「神様、仏様、稲尾様」と言われ始めたという。
一方、この58年は日本一を逃した巨人の“神様”がバットを置いたシーズンでもあった。並び称されたのではなく、まさに“神様”と呼ばれた
川上哲治だ。プロ野球で初めて通算2000安打に到達した“打撃の神様”。フォークボールのパイオニアで、やはり”フォークの神様”といわれる
中日の
杉下茂は、「フォークは“神様”用」、つまり川上を抑えるためのボールと語っているが、“神様”というだけで通じるのは川上だけかもしれない。
ちなみに、多くの選手が口にするのが「野球の神様」の存在。こればかりは選手が手にできる称号ではないようだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM