小宮山悟、佐々木主浩、酒井光次郎……

89年のドラフトで8球団が競合した野茂[右]は近鉄・仰木監督がクジを引き当てた
1989年の秋、ドラフト会議を前に、評判は「例年にない不作」と散々だった。
巨人は
大森剛と
元木大介で揺れていたことは紹介している。このとき8球団が競合したのは
野茂英雄だった。野茂は前年のソウル五輪で銀メダル獲得に貢献していて、8球団という数字は野茂の凄味を物語るものでもあるが、これも「例年にない不作」という認識があったことも数字を大きくさせたのかもしれない。
野茂は自身の希望どおり、近鉄が交渉権を獲得。5年で海を渡ったが、日米で旋風を巻き起こした。ただ、クジで野茂を外した球団が「外れ」だったわけでもない。「外れ」はクジだけのことで、獲得した選手は「当たり」だった。このとき指名の順でイの一番の
ロッテから大洋(現在の
DeNA)、
日本ハム、
阪神、ダイエー(現在の
ソフトバンク)、
ヤクルトの6球団が連続して野茂を指名。
西武と
中日を挟んで
オリックス、
広島を挟んで近鉄が同様に指名して、結果的に最後の近鉄が野茂を引き当てたわけだが、まずクジで外れたロッテが獲得したのは長きにわたってチームを支えることになる右腕の
小宮山悟だ。
続く大洋はクローザーの“大魔神”
佐々木主浩。日本ハムは1年目から10勝を挙げた
酒井光次郎、阪神はリリーバーとして低迷期を支えた
葛西稔、ダイエーは巨人を熱望していた元木を強行指名して拒否されたものの、ヤクルトは1年目から4年連続2ケタ勝利の
西村龍次。オリックスはパンチの登録名で人気を集めた
佐藤和弘で、残した数字は目を見張るものではないものの、キャラクター性では誰にも負けていない。
一方で、野茂を指名しなかった球団も名選手の獲得に成功していて、西武はリリーバーの
潮崎哲也、中日は剛速球で沸かせた
与田剛、そして広島は通算100勝100セーブを突破した
佐々岡真司と、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。
それだけではない。ヤクルト2位が
古田敦也、中日2位が
井上一樹、同6位が
種田仁、近鉄3位が
石井浩郎、阪神5位が
新庄剛志……。「例年にない不作」のはずのドラフトは、とんでもない大豊作の黄金ドラフトだったのだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM