クジ運の悪さは味方?

17年のドラフトでヤクルトに「外れ1位」で指名された村上
「例年にない不作」といわれ、
野茂英雄に8球団が競合しながら、「外れ1位」の選手たちも「当たり」といえる名選手ぞろいだった1989年のドラフトについては紹介したばかりだが、「外れ1位」の選手が「当たり(?)1位」の選手をしのぐ結果を残したことも少なくない。
そもそも入札制が始まったのは78年の秋。結果的に
巨人のボイコットで11球団のみのドラフトになったことも数回にわたって紹介したが、そこから目玉の選手に競合する球団の数が注目されるようになる。指名が競合するのは多くの場合、高校野球や大学野球、まだアマチュアリズムを維持していた時代のオリンピックなどで、すでに全国区となっている選手だ。人気の面でも、こうした選手を獲得したくなるのは人情というべきか。
甲子園でアイドル的な人気を博した早実の
荒木大輔がドラフトの対象になったのは82年のドラフト。ただ、意外にも1位で指名したのはヤクルトと巨人の2球団のみで、ヤクルトが交渉権を獲得した。クジ運の悪さを発揮した(?)形になった巨人だったが、「外れ1位」で指名したのは市川口高の
斎藤雅樹だ。知名度では荒木に遠く及ばなかった斎藤だが、結果的には90年代“最強のエース”と呼ばれるほどの活躍。クジでは「外れ」だったのは紛れもない事実だが、選手としては「大当たり」だったということになる。
逆に、80年代は荒木を皮切りに、
高野光、
広沢克己、
伊東昭光、
長嶋一茂、
川崎憲次郎と、クジ運では無双の強さを見せていたヤクルトも、21世紀にはクジを外したことで現役の名選手を獲得している。三冠王の
村上宗隆も早実の
清宮幸太郎(
日本ハム)を外しての指名で、ここでは巨人、
楽天と競合して交渉権を勝ち取った。さらには、もはやレジェンドというべき
山田哲人にいたっては早大の
斎藤佑樹(のち日本ハム)、楽天で現役を続けている八戸大の
塩見貴洋を外しての「外れ外れ1位」だ。「外れ」という言葉にはネガティブなニュアンスがつきまとうが、「外れ」なのはクジに過ぎない。選手が「外れ」か「当たり」か、あるいは「大当たり」かは分からないのだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM