FA元年に動きが……

93年限りで横浜を自由契約となった屋鋪
DeNAの起源は2リーグ制となってプロ野球に参加した大洋。一時期、セ・リーグを初めて制した松竹と合併してロビンスとしていたこともあったが、ホエールズの愛称で長く親しまれた。横浜ベイスターズとなったのが93年で、2012年に現在のDeNAとして再出発している。
大洋だった昔からストーブリーグがにぎやかとは言い難いチームだが、1969年の秋にドラフト1位で指名された
荒川堯が入団を拒否、翌70年の秋になって入団も、すぐに禁断の三角トレードという形で希望の球団だった
ヤクルトへ移籍するなど、トレードが騒動に発展したことはあった。そのうち、もっともファンに衝撃を与え、結果的にファンを喜ばせることになったのはベイスターズ元年、93年オフのストーブリーグでのことだろう。
93年オフは、FA制度が導入されて最初のストーブリーグでもある。FAを宣言したのは
中日の
落合博満、
巨人の
駒田徳広、
阪神の
松永浩美、
オリックスの
石嶺和彦という4人の強打者だった。一方で、このとき横浜は次々に
屋鋪要、
高木豊、
山崎賢一、
大門和彦という4人の功労者を自由契約にする。屋鋪は球界きっての韋駄天で、盗塁王3度、圧倒的な守備範囲の広さも魅力だった外野手。打率3割の常連で攻守走の三拍子がそろった内野手の高木とは、すでに引退していた
加藤博一と“スーパーカー・トリオ”で一時代を築き、両者はチームを象徴する存在でもあった。
トリックプレーでも人気を博した捕手の
市川和正も引退。そして、獲得したのが駒田だった。このリストラ劇にファンは反発したものの、横浜で安定した活躍の場を手にした駒田は持ち味のシュアな打撃を発揮。98年には“マシンガン打線”の五番打者として、そして優勝を知る貴重な存在として38年ぶりリーグ優勝、日本一の原動力となっている。
一方、横浜を去った4選手のうち、屋鋪は駒田のいた巨人へ。トレードマークだったヒゲを例外的に許容されただけでなく、移籍1年目から古巣では無縁だった優勝を早くも経験、日本シリーズでも守備のファインプレーでピンチを救うなどの活躍で日本一に貢献している。
文=犬企画マンホール 写真=BBM