「西武の野球はつまらん!」

1993年、日本ハムを2位に導いた大沢監督
プロ野球の監督が放つ言葉は、時に勝負も左右する。グラウンドの外で“舌戦”を仕掛け、敵チームを揺さぶるのだ。とはいえ最終的にはチームの戦力とグラウンド上で勝敗は決まるのだが、この“舌戦”によって、がぜんリーグが盛り上がっていく。これを得意としたのが“親分”の異名もあった日本ハムの
大沢啓二監督。まだ日本ハムの本拠地が現在の北海道ではなく東京にあり、同じ球場に
巨人と“同居”していた時代のことだ。当時のプロ野球では人気の面ではセ・リーグ、特に巨人が圧倒的。大沢監督の言葉はチームだけでなく、パ・リーグをも鼓舞していった。
大沢監督が日本ハムの監督に就任したのは1976年。ファンサービスを加速させていった一方、80年オフには
広島から
江夏豊を獲得するなど戦力も整えて、翌81年の日本ハムとして初のリーグ優勝につなげた。当時のパ・リーグは前後期制。その翌82年も2年連続で後期は制したものの、プレーオフで
西武に敗退。そこから始まったのが西武の黄金時代だ。
西武の
広岡達朗監督は選手の食事を徹底的に制限して、「肉食は体を酸性にする」と野菜が中心の食事を選手に勧めていた。これに対して大沢監督は「菜っ葉を食って勝てるなら苦労しねえ。ヤギさんチームに負けてたまるか!」と怪気炎。“肉食”日本ハムの監督としても面目躍如、と言えるかもしれない(プレーオフで敗れたのだが……)。以降、優勝から遠ざかっていった日本ハム。84年を最後に、現場を離れた大沢監督が復帰したのが93年だ。すでに西武の黄金時代は盤石。2年のみの任期だったが、もっとも大沢監督の舌鋒が冴え渡った2年でもあった。
大沢監督は「西武の野球はつまらん。プロ野球は勝ちゃいいってわけじゃないだろ。いまの俺は鬼退治に出かける桃太郎の気分だよ」と猛攻を仕掛ける一方、快速球で沸かせた
ロッテの
伊良部秀輝に敗れると「痛ぇ痛ぇ。幕張の海には伊良部クラゲがいる。しびれて仕方ねぇぜ」とコメント。この93年の日本ハムは西武と1ゲーム差で2位に終わったが、大沢監督はパ・リーグを盛り上げた功績が称えられて特別功労賞を贈られている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM