「四番・一塁」の王貞治
1980年限りで現役を引退した王
週刊ベースボール誌上、あるいは関連のムック本などの読者にはおなじみの、各チーム年度ごとのベストオーダー。これは便宜上「ベスト」という表現になっているが、「もっとも結果を出した先発オーダー」を編集部が選定したということではなく、そのチームの、そのシーズンで、もっとも多かった打順と守備位置から導き出したものだ。もちろん一部に例外はあるものの、データ重視が原則であり、独断と偏見、えこひいきなどが入り込む余地は、ほとんどない。よって、実はオートマチックな作業がゆえに「これがベストオーダーか?」というようなラインアップになってしまうこともあったりするし、実際そのとおりのオーダーだったケースは全試合の半数に満たないなどということもある。そのシーズンにおける“最大公約数”的なオーダーと思ってもらえれば、ほぼ間違いないだろう。
さて迎えた2023年、いよいよWBCが開催される。第1回、第2回と連覇したのが我らが侍ジャパンだ(この愛称は第2回から)。第1回のチームを率いていたのが
王貞治監督。選手としては
巨人で通算868本塁打を残した“世界の王”だ。1980年が現役ラストイヤーだが、このときもシーズン30本塁打。それでも「王貞治のバッティングができなくなった」とバットを置いた、ニッポンが誇る長距離砲だった。
そのまま王は助監督となり、
藤田元司監督、
牧野茂ヘッドコーチとの“トロイカ体制”で翌81年、巨人を4年ぶりリーグ優勝、V9以来となる日本一に導いているのだが、その81年を迎えるにあたり、
原辰徳の入団という明るいニュースもあったとはいえ、
長嶋茂雄監督が退任したこともあって、王が現役を引退する寂しさに覆われてしまったというファンも多かっただろう。もし王が「王貞治のバッティングができなくなった」と思わず、現役を続けていたら。結果的には、いい意味で裏切られて優勝、日本一となったものの、そう思った向きも少なくなかったはずだ。
そこで、WBCのドリームチームよろしく、王が81年の打線に並んでいたら、という「もしも」を考察してみる。歴史にifはナンセンスなのは百も承知。だが、それでも「もしも」に思いを馳せ、夢の世界にたたずんでしまうのも人情だ。夢のチームである侍ジャパンにちなみ、プロ野球の歴史で夢を紡いでみたい。81年の巨人で王が現役だったとして、80年と同じ打順と守備位置、つまり「四番・一塁」で自動的に81年のベストオーダーに入れて、重複する選手を自動的に外してみると、以下のようなオーダーになる。
1(遊)
河埜和正 2(左)
淡口憲治 3(二)
篠塚利夫 4(一)王貞治
5(中)
ロイ・ホワイト 6(三)原辰徳
7(右)
ゲーリー・トマソン 8(捕)
山倉和博 9(投)
江川卓 実際のベストオーダーは?
1981年、実際に巨人の四番を多く務めたのは中畑だった
実際のベストオーダーから王に弾かれた形になったのは
中畑清。この81年の巨人は、原の入団で内野陣のレギュラー争いが加熱したシーズンで、三塁手の原は最初は二塁手でデビュー、二塁手の篠塚利夫が控えに回り、遊撃手の河埜和正が唯一、“聖域”といえる存在だった。だが、三塁手の中畑の故障で原が三塁に回り、二塁に戻った篠塚が好調で、復帰した中畑が一塁に入ったことで軌道に乗った。
あこがれていた長嶋のトレードマーク「四番サード」でスタートした中畑だったが、結果的に打順と守備位置ともに80年の王と同じとなり、今回の作業では自動的にラインアップから消えてしまった。とはいえ中畑の不在も寂しい。「絶好調!」の中畑がベンチに控えているのも敵チームには脅威かもしれないが、ベテランとなって外野もこなした原を早くも外野に回してトマソンあたりを外すか……などなど、続きはファンの皆様の夢の中で。
(巨人1981年のベストオーダー)
1(遊)河埜和正
2(左)淡口憲治
3(二)篠塚利夫
4(一)中畑清
5(中)ロイ・ホワイト
6(三)原辰徳
7(右)ゲーリー・トマソン
8(捕)山倉和博
9(投)江川卓
文=犬企画マンホール 写真=BBM