「木製バットにも慣れてきた」
千葉県習志野市内の日大グラウンド。全体練習、グラウンド整備を終えた午後4時過ぎ、ミーティングが行われていた。円陣の後方で、頭一つ抜けた高身長の1年生がいた。100人以上いる部員の中で、早くも存在感抜群だ。
日大に合流した九州学院高・
村上慶太が、充実の大学初練習を終えた。
「足がもう、パンパンです(苦笑)」
人懐っこい笑顔は、兄そっくりである。2月5日に入寮し、6日から本格始動。「初日からアピールしようと思っていました」。午前中から走り込みを中心としたトレーニングのほか、守備、打撃練習を精力的にこなした。
フリーバッティングでは、20スイングで2本(右越え、右中間)のアーチ。持ち前の長打力を披露した。高校時代は主に一塁手だったが、大学では三塁手で勝負。ヤクルトで昨季、56本塁打を放ち、令和初の三冠王の兄・宗隆と同じ「四番・三塁」の定位置を目指している。
「金属バットのほうが飛びますが、木製バットにも慣れてきました」
兄から譲り受けたバットを2本、熊本から持ち込んだ。この日の初練習では、2020年モデルの900グラムのミドルバランスを使用。「ヘッドが走り、片手でもホームランを打てました」。もう1本は2022年モデルで、先端部分を深くくり抜き、グリップエンドはなだらかな「タイ・カッブ型」である。「860グラムから880グラムと軽いので、試しながら使っていきたいと思います」。1年春からのリーグ戦出場を目指して、意欲的に練習に励んでいる。
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ヤクルト・村上の2022年シーズンモデルのバットを手に。弟も兄と同じ左の強打者。東都大学リーグでの活躍を固く誓っている
昨年10月20日のドラフト会議では、指名漏れに終わった。当日は熊本市内の九州学院高のグラウンドで待ったが、吉報は届かなった。
「自分の中で、確信できるものはありませんでした。どうだろう? と。ただ、実際に外れると悔しくて、しばらく立ち直れなかった」
2日間、部屋から出ることができないほど落ち込んだ。弟の状況を家族から聞いた兄・宗隆から「(ドラフトの結果を)生かすも殺すも、自分次第。その(悔しい)気持ちを忘れずに頑張れよ」と、電話が入ったという。
「気が晴れました。(昨夏の)甲子園に出場した際もそうでしたが、連絡のほとんどはLINEでした。自分から相談事があって兄へ電話することはありましたが、兄からかかってくることはめったにない。前向きになれました」
昨季まで右投手として社会人野球のテイ・エステックでプレーした長男・友幸さん(東海大星翔高−東海大)からも「キツイだろうけど、次に向けて頑張れ!」とメッセージをもらい、大学進学の決意が固まった。日大法学部政治経済学科に合格。「しっかり1、2年生のうちに単位を取得して、4年で卒業します!」と、学業にも力を入れていく。
恵まれた環境で狙う4年後のプロ
日大は環境に恵まれている。「立派なグラウンド、室内練習場も整っており、ここでしっかり鍛えて、4年後に絶対、プロに行きたいです」。今年の主将は、九州学院高出身の
友田佑卓捕手。寮の部屋割りでは4年生・友田が村上を指名する形で、4人による同室となった(内訳は4年生、2年生、1年生、1年生)。
「早速『部屋飯、行くぞ!』と誘っていただき、ありがたい。九州学院で兄が3年生のときに、1年生が友田さん。友田さんのお兄さん(晃聡、テイ・エステック)が3年生のとき、兄が1年生という関係性で……とても、心強いです。早く1年生としての仕事も覚えて、寮生活に慣れるように努力したいです」
高校通算7本塁打。弟は兄と同じ左のスラッガーで、190センチ100キロ。サイズはすでに兄(188センチ97キロ)より大きい。高校3年間、常に比較されてきた。もちろん、覚悟の上であり、すべてを背負ってきた。重圧の中で、3年夏に甲子園出場と成果を残した。
「現時点では負けていますが、プレーしている以上は勝ちたい。(村上の)弟、(村上の)弟、と言われるので、いつか逆転したいと思っています。今、できることは、日本大学野球部の中で認められ、チームの勝利に貢献できる選手に成長する。東都大学リーグで優勝し、全日本大学選手権、明治神宮大会で日本一になる。個人的には、大学4年時にドラフトで指名されるよう日々、鍛錬していきたい」
兄がヤクルトで一軍定着した中学3年時以降、何度も神宮球場で観戦してきた。昨年のセ・リーグ優勝も、現場で歓喜を見届けた。東都一部の主会場も神宮。兄が慣れ親しんだスタジアムでプレーすることを「ワクワクしている」と、胸の高鳴りを抑えられない。
好きな言葉は「臥薪嘗胆」。村上は言う。
「九州学院で監督を務めた坂井宏安前監督から『宗にあげた言葉だが、お前にも渡す』といただきました。将来の成功を遂げるために苦労し、努力を重ねる。肝に銘じていきたい」
兄は高校3年時、侍ジャパンU-18代表から漏れたことが、その後の発奮材料となった。早実・
清宮幸太郎(現
日本ハム)、履正社高・
安田尚憲(現
ロッテ)、広陵高・
中村奨成(現
広島)と、同期のライバルから相当な刺激を受けてきた。誰にも負けない練習量で、世代トップへと上り詰めた。弟もドラフトで挫折を経験したが、このままでは終わらない。
「四番・三塁」。兄と同じポジションで活躍するために、下積み生活からスタートさせる。
文=岡本朋祐 写真=BBM