両リーグで活躍した頼れる助っ人たち
助っ人の選手たちがプロ野球のチーム間を移籍することは古くからあったものの、所属していたチームから自由契約となった選手が他のチームと契約した形の移籍が多かった。日本人の選手のような積極的な移籍となったのは、ざっくりといえば時代が平成になってからだろう。
以前、この連載で主役となった近鉄の
ラルフ・ブライアントも、もともとは
中日の二軍でくすぶっていた“第3の外国人”で、一軍の経験がないまま近鉄へ移籍してブレークしたもの。当時の助っ人は一軍に登録できるのは2人までで、もしブライアントが中日でブレークした末に移籍していたら、2チームどころか両リーグで活躍した助っ人としても名前を残していただろう。今回は、トレードや自由契約など移籍の形はともあれ、2チーム以上で活躍した助っ人をピックアップしてみたい。
テーマは移籍ということもあり、ある程度の成績を残した選手で守備位置が重なった場合は2チームでもセ・リーグとパ・リーグ、両リーグで活躍した選手を優先する。たとえば、指名打者の
チャーリー・マニエルと
オレステス・デストラーデであれば
西武ひと筋のデストラーデではなくヤクルトと近鉄で活躍したマニエル、一塁で重なる
ブーマー・ウェルズと
ランディ・バースであれば、
阪神ひと筋のバースは対象ではなく、阪急(現在の
オリックス)とダイエーで活躍したブーマーが一塁に入る形だ。これで弾かれた選手も、複数チームに所属して他の守備位置でベストオーダーに名を連ねていたら、そのポジションで起用してみる。
助っ人の監督ではないが、多くの助っ人たちがシーズン本塁打の数字に迫り、あるいは追い抜き、のち指揮官として
巨人でリーグ優勝、ダイエー(現在の
ソフトバンク)で日本一を経験した
王貞治監督の、初の日本一となる1999年ダイエーのベストオーダーに、前述したような機械的な作業で彼らを入れると、以下のようなラインアップとなった。
1(右)
ウラディミール・バレンティン 2(二)
ボビー・マルカーノ 3(指)チャーリー・マニエル
4(三)
レオン・リー 5(捕)
バッキー・ハリス 6(一)ブーマー・ウェルズ
7(中)
タフィ・ローズ 8(左)
アレックス・ラミレス 9(遊)
アンディ・シーツ 1999年ダイエーのベストオーダーは?
以前も絶対数が少ないことで選出に苦しんだ助っ人の捕手と遊撃手だが、捕手で1リーグ時代のバッキー・ハリスは名古屋(中日)とイーグルス、遊撃手のアンディ・シーツは
広島と阪神でプレーしており、基準をクリア。シーツは阪神では一塁手だったが、一塁は助っ人の強打者で飽和状態で、ここでは結果を残したのはセ・リーグだけながらオリックスにも所属した
トニ・ブランコ(中日ほか)が一塁手に。ほかにも前述したパ・リーグひと筋のブーマーや
アレックス・カブレラ(西武ほか)、セ・リーグひと筋の
ロベルト・ペタジーニ(ヤクルトほか)や
タイロン・ウッズ(中日ほか)が控える。
阪急とヤクルトにいたボビー・マルカーノが二塁手、本職は一塁手ながらもロッテから大洋(現在の
DeNA)とヤクルトを渡り歩き、オリックスの監督も務めたレオン・リーが一塁手だ。外野は、近鉄や巨人で活躍したタフィ・ローズが全ポジションでベストオーダーに並んだ経験があり、ローズが中堅に入ることで、セ・リーグひと筋のアレックス・ラミレス(DeNAほか)の左翼、ソフトバンクでは精彩を欠いたがヤクルトではシーズン60本塁打でプロ野球の頂点に立ったウラディミール・バレンティンの右翼が完成した。指名打者はヤクルトと近鉄で初の日本一に貢献した前述のマニエルだ。
打順の調整など、続きはファンの皆様の夢の中で。一方、実際の99年ダイエーも負けず劣らず、日本人の選手で長距離砲タイプがズラリと並んでいる。
(ダイエー1999年のベストオーダー)
1(右)
柴原洋 2(二)
浜名千広 3(指)
吉永幸一郎 4(三)
小久保裕紀 5(捕)
城島健司 6(一)
松中信彦 7(中)
秋山幸二 8(左)
ニエベス 9(遊)
井口忠仁 文=犬企画マンホール 写真=BBM