定岡正二氏、篠塚和典氏、川口和久氏、槙原寛己氏の書籍『昭和ドロップ!』が5月2日(一部地域を除く)、ベースボール・マガジン社から発売されました。昭和に生まれ育ち、昭和、平成に輝いた4人が、巨人、長嶋茂雄、青春の多摩川ライフなど、あのころのプロ野球を愛あり笑いありでたっぷり語り合う1冊です! これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載です。 「ミスターって見ているだけで楽しいんだよ」(篠塚)

『昭和ドロップ!』表紙
再び定岡正二さん、篠塚和典さん、川口和久さんでミスターこと、長嶋茂雄さんについて語ってもらった章の一部である。
今回のテーマは伝説の伊東キャンプだ。
篠塚 でも、距離はありましたよね。本当の意味でミスターに身近に接したのは、伊東キャンプからになるのかな。
定岡 伊東キャンプは何年だったっけ?
篠塚 1979年の秋ですね。僕の4年目でした。1976、1977年の連覇のあと、2年連続で優勝できず、僕ら若手もこのままじゃいけない、なんとかしなきゃと思い始めていたころです。
定岡 僕は5年目のシーズンが終わったときだった。まだ一軍では1勝もしてない。
──長嶋監督が、若手を猛練習で鍛え上げたという伝説の伊東キャンプですね。やっぱり厳しかったんですか。
篠塚 あのキャンプは言葉では簡単に説明できないな……。ただ、激しかったし、きつかったけど、終わったときは、すごくやり遂げたという充実感があった。参加した選手はみんな力をつけたしね。もう一つ、あのとき思ったのは、「ああ、ミスターはこういうふうに選手と接するんだな」ということ。ずっと雲の上の人だった長嶋さんが、僕らの近くに来てくれたというのかな。これは怒られるかもしれないけど、ミスターって見ているだけで楽しいんだよ。だから、いくら練習がきつくても、「ああ、嫌だ」にはならず、前向きになれた。
定岡 そう! そうなんだよね!
篠塚 バッティング練習をしていても、ミスターがランニングをしていると、そっちに目が行くんですよ。
川口 分かるなあ。
定岡 一つひとつの動きが絵になるんだよね、オーラがあって。
川口 伊東での秋季キャンプはそれ以前からやっていたんですか。
篠塚 いや、あのときが初めてだった。ミスターが高校時代、立教大学のセレクションを受けた場所らしいよ。原点の地だったんだろうね。
川口 参加したメンバーは誰だったんですか。
篠塚 中畑清さん、
松本匡史さん、
江川卓さん、
西本聖さん……。
定岡 もういい! 分かった! シノ、自分で言うよ! 僕は入ってません!
川口 なんでサダさんが入ってないんですか。
定岡 みんな100パーセント、僕が入っていると思っているだろうね。よく「伊東キャンプ、どうでしたか」って聞かれるもん(泣きまね)。そのあとにできた親睦会の『伊東会』には入れてもらって、ずっとゴルフや食事は一緒にしているんだけど、実は呼ばれてなかったんだ。あのときショックだったのは、2年後輩の
赤嶺賢勇が入ったこと。彼も僕と同じで、一軍では1勝もしてなかったんだけどね。
川口 沖縄(豊見城高)の右投げのピッチャーですね。甲子園で活躍された人だった。確かにサダさんとキャラがかぶりますね。
定岡 キャラとか言うな(笑)。後日談になるけど、当時の投手コーチだった
杉下茂さんに「なんで僕は外されたんですか」と聞いたことがある。そしたら「お前は腰が壊れてるから、無理させられないと思ってな」と言われた。中畑さんは「お前に発奮してもらうためだったと思うぞ」と言ってくれたけどね。確かに腰は痛めていたし、真意は分からないけど、伊東キャンプの話は聞くたびにうらやましいんだよね。俺だって、あそこで追い込まれて鍛えたらどうなったかなって思って。
──定岡さんも翌1980年にブレークした一人ですよね(先発に定着し、9勝。防御率はリーグ3位の2.54)。
定岡 そこは強調してもいいかな。要するに、あの伊東キャンプは、参加した人だけじゃなく、僕みたいに行かなかった人にも刺激になったんですよ。「伊東組に負けるな!」っていうのは、ほかのみんなにあったしね。ただ、「行っていたら、もっと……」という思いはやっぱりある。