定岡正二氏、篠塚和典氏、川口和久氏、槙原寛己氏の書籍『昭和ドロップ!』が5月2日(一部地域を除く)、ベースボール・マガジン社から発売されました。昭和に生まれ育ち、昭和、平成に輝いた4人が、巨人、長嶋茂雄、青春の多摩川ライフなど、あのころのプロ野球を愛あり笑いありでたっぷり語り合う1冊です! これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載です。 「高木豊を僕は勝手にニコニコ打法と呼んでました」(定岡)

『昭和ドロップ!』表紙
定岡正二さん、篠塚和典さん、川口和久さんで投球術について語ってもらった章の一部である。
──定岡さん、現役時代、投げやすかったバッターはいますか。
定岡 特に誰というより、おおまかに言えば、振ってくるバッターですね。当時なら、
広島みたいなチームが好きで、
ヤクルトみたいにミート主体のチームは嫌だった。
川口 当時のカープは
山本浩二さん、キヌさん(
衣笠祥雄)がいて、クリーンアップは、みんな振ってきましたからね。
定岡 腕の振りをバッターは見てくるでしょ。僕は腕を思い切り振って投げ、芯をずらすカットボールが勝負球だったからね。ホームランバッターは腕の振りとかフォーム全体を見て振ってくるけど、ミート中心のバッターは、ボールをしっかり見て振る。逃げていくカットボール、スライダーに対して右バッターはライト前を意識しているから、曲がったあとを狙っていけるんだろうね。シノはどこを見ていたの?
篠塚 僕は全体ですね。
定岡 あれ? ホームランバッターだな(笑)。
川口 俺の口を見ていたという人もいた。ひょっとこみたいに口を突き出すとカーブだって。今はビデオでしっかりチェックするけど、昔はなかったから、あとで人に言われて「へえ」になるんですよね。
定岡 今はスマホやタ
ブレットで確認できるからね。昭和は遠くになりにけりさ。
川口 時代の違いと言えば、僕らの時代はクリーンアップが特出し、いいバッターはいいけど、それ以外は非力でヒット狙いだったり、つなぎだった。今はみんなパワーがあって長打があるから攻め方も違ってきますよね。サダさんは、1球目、入りにくいバッターはいましたか。
定岡 掛布雅之さん(
阪神)かな。あの人は、1球目は絶対振ってこなかった。最初はびっくりだったよ。ど真ん中でも見送るんで、なんか不思議な気持ちがしてね。「俺って見切られているのかな」って。
──マウンドでバッターの狙いは分かりますか。
定岡 1、2年目はキャッチャーのミットに無我夢中で投げていて、3年目くらいからバッターの構えや雰囲気が見えてくる。ただ、逆に7、8年になると見え過ぎてしまうこともあるんですよ。もっと新人みたいにガムシャラに腕を振ったほうがよかったなって思うこともあります。そのバランスが難しいんですよね。慣れなきゃいけない、慣れ過ぎてもいけないというか。なんだか奥深いこと言ってますね、僕!
──分かりにくかったのは。
定岡 高木豊(大洋)ですね。打席でニコニコしているから何を考えているか分からないんですよ。僕は勝手にニコニコ打法と言っていました(笑)。投手だと、大洋の
齊藤明雄さんが、いつもニコニコ、いやニヤニヤしてました。あの怖い顔だから、バカにしているみたいに見えて、バッターもコーチもカッカしてましたね。あとで本人に聞いたら「あれは俺のテクニックなんだ」って言ってました。
篠塚 僕のときは笑ってなかったな。得意だったんで、よく打ったんですよ。そのせいか頭に当てられたことがあったけど(笑)。