元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 勉強は兄に任せた!

『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回は少し前に『新潟日報』でこの本の紹介をしてもらったらしいので、書籍冒頭部分だが、ミチさんと新潟の関係について触れた部分を紹介する。
おそらく、新潟出身の方以外は興味がない箇所だと思うが、ご容赦を。
ちなみにミチさんのお父さんは、小社会長・池田恒雄(故人)の旧制・小千谷中での野球部の先輩で、それが縁でミチさんにもベースボール・マガジン社入社の話があったのだが、それはまた別の機会で。
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オヤジは新潟県の小千谷市という雪深い町で、醤油会社の三男坊として生まれた。結構、大きな会社だったらしいよ。子どもがみんな跡を継がなかったんで、経営を番頭さんに譲ったと言っていた。
オヤジ(佐藤友太郎)の兄弟はみんな頭がよくて、一番上が佐藤弥太郎さんで京大の名誉教授、次男が佐藤道太郎さんで名古屋大の名誉教授だった。俺の名前の「道」は道太郎さんかららしいね。
オヤジも東大出で、パンのイースト菌を研究して紫綬褒章をもらった学者だし、おふくろ(弥生)の実家も新潟の新津市で医者をしていた。俺の兄弟は兄貴と妹だけど、どっちも頭は良かったよ。要は俺以外、みんな頭がいいんだ。
言い訳をさせてもらえば、勉強では3つ上の兄貴が期待されていて、俺は「勉強しろ」と言われたことがなかった。自由にさせてもらってありがたかったけど、無理やりにでも勉強をやらされていたら、もしかもしかで、俺も学者さんになっていたかも……いや、それはないか。
兄貴と妹は、東京の中野の家でお産婆さんが取り上げたけど、俺は、おふくろが新津に里帰りして産んだ。昔、4つ下の妹が「お兄ちゃまと私は東京生まれだけど、みっちゃんは新潟生まれ」ってよく言ってたよ。
オヤジは旧制中学で野球部に入っていたけど、どちらかと言えば、おふくろの血が濃いと思う。バスケットボールと陸上をやっていて、砲丸投げで全国3位になったこともある。
そこから、つぶれない肩をもらったんじゃないかな。プロに入って「お前は、砲丸投げみたいな汚いフォームだな」って言われたこともあったけど、それも血筋ってやつさ。